ほぼ足りてまだ欲 その先

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浦上天主堂

 8月はアジア太平洋戦争にちなんだテレビ番組が多い。今NHKはハイ・ビジョンで関連のドキュメント番組を再放送している。興味深いものが多い。これだけでもNHKに視聴料を私は払っても良いと思っている。今だからいうけれど、かつては支払いを拒否していたことがある。
 日系三世のSteven Okazakiが2007年に制作したドキュメントフィルム「ヒロシマナガサキ 白い光 黒い雨 あの夏の記憶(原題:White Light Black Rain)」については8月7日の日記に書いた。
 同じ日に「解かれた封印〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI〜」についてもこの日記で触れている。ここに出てくる米軍のカメラマンJOE O'DONNELLは浦上天主堂を当時撮影している。
 先日の日曜日8月10日のテレビ朝日、「ザ・スクープスペシャル」では「追跡 消えた“被爆した浦上天主堂・保存計画”63年目の真実」という番組が放送された。今でこそ浦上天主堂は全く当時の原爆被害を想像できない姿をしているが、それは建て直したからであって、当時はもうほとんどがれきのようなものでしか残っていなかった。それはJoe O'Donnellの写真にも写っている。広島の原爆ドームのように保存するべきだという流れがあって、当時の市長もおおむねその方向だったという。
 ところがある日、日本国連協会のWilliams Hughesという人がつなげてきて長崎市ミネソタ州St. Paulという街(Minneapolisと共にtwin citiesと呼ばれている。だからMLBミネソタのチームはTwinsという)と長崎の姉妹都市の話を進めたのだそうだ。ところが今回取材班が調べると、このWilliams Hughesという人間がわからない。そもそも日本国連協会の米国支部というのが存在していなかったというのである。長崎市のウェブサイトを見るとこの人の奥さんは日系二世で、彼は大の親日家だったと書いてあるが、番組ではその話は出てこない。娘さんが登場するが、残念ながらお母さんが日系だったかどうかは語られなかった。
 1956年に当時の田川長崎市長はその姉妹都市、St. Paulを表敬訪問する。当時の新聞記事が残っている。しかし、市長は帰国後「原爆の悲惨さを証明すべき資料にはならない」と主張してそれまでの意見を覆し、その結果、1958年、浦上天主堂の残骸は建替えのため取り壊されてしまったのだという。
 当時の関係者の話を聞くとなにか密約があったのではないかということを推測することができそうだという話である。
 もともと、二つめの原爆の投下候補地は当所小倉だったという話はよく知られている。しかし、雲が多く、目視投下を命令されていた投下機の機長は次なる候補地の長崎に向かい、よく見えたので爆撃手の一言に促されて投下したといわれている。
 しかし、これだけのクリスチャンの街であり、グランド・ゼロカソリックの教会であったことが戦後判明して(あるいは他にも理由があって)、後々まで米軍がいくらカソリックであったとしても教会をターゲットにした証拠を残すわけにはいかないという事情だったのではないか、と推測することはできる。連合軍の捕虜もいたのではなかっただろうか。