ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

若いって良いなぁ

 一度書いたのに、自分で消去してしまうという馬鹿な動作をしてしまって大いにへこむ。
 昨日の午後のこと。二度目の学部学生の時の後輩のひとりと新宿で再会した。彼は学部の三年の時に「ちょっと行ってきます」と突然宣言して東南アジアのある都市にでかけ、そこのHIV患者のシェルターで働き、帰ってきてから学部を卒業し、またそこへ出かけ、三年ほどになる。それだけのことでももう充分に頭が下がるのだけれど、彼はそこで疑問に思い続けたことがあって、それを検証し、何らかのシステムを構築したいという思いを持って日本の大学院の門を叩きに一時帰国してきたという。うまく受け入れて研究をさせてくれる機関があれば来年の春から突き詰めていきたいというのだ。
 その意気や良し、ではあるのだけれど、どこの秋試験にいっても殆どが下からあがってくる人たちで、ストレート学生が目白押しなんだそうだ。彼らはそのバックグラウンドになる基礎的な知識を得てあがってくるけれど、現場を体験していない。研究テーマも自分が身体で必要だと思ったテーマではないからその後の発展性はわからない。必然的に範囲の広い分野をマクロに見ていこうとする。しかし、時間的には連続しているから考査の上では優秀だ。
 ところが彼のような場合だと基礎的な知識が学習されていなかったりするから考査上では大変に不利になる。ならばどこか他でそうした研究を集中して実施する場所があり得るかというとなかなか見つからない。なんだかんだいっても大学という場所はアドバイズしてくれる人がおり、文献はたくさん存在し、情報入手手段が自由に使えるという点ではいうことがない。ただし、それをまとめるには前期課程のたった二年というのは短い。彼の場合でいうと、まだまだ足りていない基礎的な知識を入手するにはかなりの労力を要するし、それをしないと本当にその研究でよいのかという判断もできない。
 尤もそんなプロセスはもったいないから、今自分が思う方法で進んでいき、あとで受けた指摘で修正していけば良いんだという考えもあるだろう。しかし、そういわれてしまうと私は、だったら人に相談しなくて良いんじゃないのといってしまうだろう。
 彼がやろうとしていることは彼の地の現場では非常に有効だろうと思うけれど、それを一体日本の大学院の指導教授でわかってくれる人がいるのだろうか。そして彼の今のレベルを受け入れてくれる人がいると良いのだけれど。
 ふたりで紀伊国屋に入り、社会学系が固まっているあたりの書棚を眺める。彼にどの辺のものがどんな具合にあるのかを見せたいという気持ちもあったけれど、実は先週ちょっとした臨時収入があったので、諦めていた本を入手しようという気持ちだった。友人が彼自身のブログでアップしていたので知った。

フィールドワークの物語―エスノグラフィーの文章作法

フィールドワークの物語―エスノグラフィーの文章作法

 ここのところ昭和現代史にかまけていてこの辺の書棚を素通りしていたのだけれど、今回見て多くの興味深い異文化、多文化系書籍が出版されていることを知った。かつての自分が掘っていた分野をやはり掘っていた人もいたことが確認できて嬉しいというか、他の人がこんな成果を上げているのかと思うとちょっと寂しいというか。図書館に行ってこなくては。