ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Hobart, Tasmania

 メルボルンからタスマニア州の州都ホバートに移動。
 どうやらメルボルンに雨が降ったのは久しぶりらしいけれど、その降り方が普通ではなくて、雷雨である。フライトが予定通りに飛ぶかどうかが問題だという。昨日、豪州の首相、ケビン・ラッドもG-20に備えて出発した。豪州もなかなか難しい局面にさしかかっており、各紙が一面で扱っている。

 昨日ホテルに戻って今朝早くのタクシーを頼んだ。フロントの女性はあくまでも無表情に多分待っているのがいると思うけれど、それでも頼むのか、というので、それでも頼むと反応。すると横にいた多分西アジア出身と思われる年齢不詳の男性に「やってみろ」といっている。彼はおそるおそる私に名前を聞く。そしてなにやらキーボードを叩き、しばらく経ってからおそるおそる私に「Everything all right!」という。ところがぎっちょん、なにもall rightではなかった。チェックアウトの時に「ところでタクシーは来ているの?」と聞くと全く違うメンツ一同(といっても三人いただけ)は一瞬ひるんだ様子を見せるも、全然慣れているという雰囲気の同じく西アジアの男性が「あそこに一台いるけれど、あれではダメか」というので、「いやいや、全然かまわないよ」というと一同の雰囲気が俄に解ける。ことほどさようでこの国では期待をしてはならないのである。

 さて、雷雨で早朝混乱を来した空港で私たちのフライト(これがなぜかBAとの共同運航便のBoeing 737-800)は予定から25分遅れてゲートから離れた。私の席は27-Aで左側の窓際である。誰も窓際がよいといっていないのだけれど、そういうことになっていた。周りは殆ど全てがグループ・ツアーらしき人々に囲まれた状態で賑やかで楽しそうな雰囲気がにじんでくる。
 出された朝食はシリアル、切った林檎、ブルー・ベリー・マフィンとジュースである。飛行機の中で良くこの林檎が出るのだけれど、ホバートの空港ではビーグルの監視犬が匂って歩くので持って入れない。たしか2000年に来たときもそんな記憶がある。今回はバナナを持っていたことを思い出して建物(とてもビルというほどのものではない)に入る前にそこにあったゴミ箱に放り込んだ。にもかかわらずかの監視犬は私のトートバッグに取り憑いて離れない。係員に「今そこでバナナを捨てたんです」というと、では念のためといってトートバッグをのぞき込んだ。しかし、ここでもそうなのだけれど、豪州のセキュリティ・チェックはどうも真剣みが薄い。メルボルンでもベルトを抜けだとか、靴を脱げだなんて一度もいわれない。「あ、悪いね」という感じである。そして私のバッグの点検が終わると係員は犬にえさをやるのである。このビーグル犬はその後もベルト上に出てくる荷物をひとつひとつ匂っていた。なかなかの働き者である。

 メルボルン空港はネットがただでは繋がらない。credit cardがないとどうにもならないけれど、QANTASのウェブ接続が1時間5ドルで繋がるので安くてしかも非常に安定した本物のbroad bandでいうことはない。それでも米国やアイスランドのどこに行っても殆どただ同然で繋がる環境と比べるとその遅れは指摘されても仕方がない。

 初日にシドニーからメルボルンに到着したときにairport shuttleの中で二人の日本人と遭遇した。昨日のバスツアーが到着した「十二使徒」のルック・アウト・ポイントでその内のひとりの人とまたしても出会った。その女性は1965年にスウェーデンに行ってからそのまま住み着いて家庭も築き、今回は旦那さんが来たいからとストックホルムからやって来たのだそうだ。私のバスの時間が迫っていて、ちゃんと話をすることができなかったのがとても残念だったが殆ど日本語を使う機会がなかったのか、思い出しながら話す日本語がもどかしそうだった。とうとう私と同じ年頃で外国に暮らしている人たちがリタイアして様々なところに現れてきたということかも知れない。今回は参加した会議の席以外で日本語でお話をしたのはこのお二人だけである。それ程不思議なことにどこに行っても日本人には会わなかった。昨日のツアーの中にはもちろん日本人は私ひとりだったし、今朝の空港でも私の周囲には日本人らしき人を殆ど見つけられなかった。しかし、中国語を話す人には驚くほどあちこちで目にする。昨日のバスの中にも三組。今朝のフライトの中にも三組以上の中国系の人たちがいた。
 
 ホバートの空港は前回来た2003年と建物は変わっていないと思うのだけれど(いや、建物ごと変わったのだろうか・・・)、内装は一変していた。レンタカーはこの建物から出て通りの向こう側に専用の建物が建っている。一番左がAVISだった。免責を埋める保険を掛けてもフルで一日30ドルだというので、為替がこんな今はなんのためらいもなくフルで掛ける。実は前回はもったいなくて、フルで掛けられなかった。
 車は生まれて初めて乗る現代自動車の「I-30」というもので、なんだかトヨタVITZやホンダのFITのような車である。すでに走行距離が39000kmを超えている。一番心配なのは明後日の山の中を走るときに安定しているかどうかである。

 とにかくホバートの街に出る。本当は寄り道もしたいのだけれど、今回は銀行が誤算だったので、銀行が開いている内にT/Cを必要な分だけ現金に換えてもらう。銀行はやったことがないらしくてとてもいやがる。AMEXの豪ドルT/Cなのだけれど、取りっぱぐれを恐れている様子ではあるが、とにかく窓口が目にしたことがないような様子でもある。いずれにしても日頃遭遇しないのだろう。メルボルンでは私が口座を持っている銀行だったのだけれど、ここでは全然関係のない銀行である。パスポートだけではIDが満足されないといってライセンスを出せという。国際免許を出したらそれなら良いけれど、手数料を1%もらうというのである。T/Cを元の円に戻せというのならこの手数料も納得できるのだけれど、なんだか腑に落ちない。しかし、背に腹は替えられないし、この銀行がどうするのか知りたかったからやってみた。本題には関係がないがこの銀行の窓口は美人ばかりである。多分失業率の高いタスマニアで銀行のような間違いのない仕事に就いているのは相当恵まれた状況にいる人なんじゃないだろうか、などとくだらないことも考えてしまう。そういえば街中を歩いている人の中にも美人が多いような気がしてきた。

 ホバートの街はデパートのMayersが昨年だったかに火事になったと聞いていたけれど、そこが空き地になっているくらいで、それ以外は本当に見事なまでに変わっていない。Apple Shopの位置も変わっていない。モールが続いている中にあったfood courtはそのままあって、Chineseだった店はそれだけでなくて今や「India Couisine」を売りにしている。そしてこっちでも日本食(らしき)店が大いに増えた。弁当を売っているところまでできた。最初にできた回転寿司は今でもある。News Agentも変わっていないし、救世軍のリサイクル・ショップも変わらないし、Australian Geographic Shopも変わらず、本当にすっかり変わっていない。前回良く車を駐めた立体駐車場に車を駐めてあちこち見て回ったけれど、殆ど変わらない。メルボルンのCBDを見ていると今や大きく時代が変わってしまったと思わせるがこちらはなんにも変わっていない。つまりこの国の中でも経済的には完全において行かれているんだろうということを想像させる。
 宿に着いてみるとセミ・キッチン付きのモーテルである。これが外から見たら煉瓦造りで感じがよいのだけれど、中に入ってみるとみすぼらしい状況でこれはもう仕方がない。ここも昔からこの前を通り過ぎていたくらいだから古い施設なのだろう。変わったのは多分宿泊料が二倍ほどになったことくらいだろうか。
 「ネット接続はどうなの?」と聞くと女主人らしき人が「ない。サラマンカ・プレイスに行って頂戴」と悪びれずにいう。「そういえばこのあたりのマクドナルドが繋がるって聴いたけれど」というと、「えっ!?」と驚いて、旦那にも使用人の女性にも聞き回っていた。多分彼女は私の言葉をまだ真に受けていない。私はiPassのデーターを見ていたのだ。