ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

1960年5月14日

 ひょんなことから元外交官であった西春彦を想い出して、自分で前にブログに書いたことを見返していたら、そういえば西は60年日米安全保障条約改定について、衆議院に公述人として話をしていたことを想い出した。それがこの日のことで、「日米安全保障条約等特別委員会」でのことである。この日の議事録はもちろん今でもネット上で閲覧が可能で、この日は公述人として一橋大学教授・大平善梧、京都大学教授・猪木正道中央大学教授・田村幸策とともに元駐英大使という肩書きで西春彦が意見を述べている。
 午後の委員会で自民党の愛知揆一に続いて質問に立った社会党の森島守人が西春彦に質問するに際して「西君」と呼んでいる。国会では議長や委員長が議員を呼ぶ場合になぜか知らないけれど「〜君」と呼ぶからおかしくないけれど、森島は公述人である西春彦に対して「西君」といっている。同じ外交官出身者として森島が先輩だからそう呼んでいるのかと思った。
 どういうことかと思ってググってみると、森島守人は1896年の生まれで石川県出身。東大卒。1936年東亜局長。ポルトガル公使ののち1946年退官。1955年から社会党衆院議員。1975年に他界している。西春彦は1893年生まれだから森島より3年年長で1986年に他界している。これは明確に西春彦の方が年長で、外務省の先輩にもかかわらずこう呼びかけているのは国会内だからこそなんだと知れるが、なんだか私から見るととても違和感がある。
 この日の西春彦の発言をマスコミがどのように取り上げていたのかを知ってみたいなぁという興味をそそる。