ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

最終日は御所から

 出発の2-3日前にたまたま宮内庁の参観案内サイト(こちら)を見ていたら京都御所見学に空きがあるのがわかってすぐさま申し込んで確保していたので、今日は最初に御所見学ができることになっている。
 地下鉄の四条の駅のコインロッカーに荷物を放り込んでおいて、イノダコーヒー本店を目指す。なにもガイドブックそのものの朝飯にしなくても良いのだけれど、mixiを読んでいたりするとみんながいくものだから、我慢ができなくなってしまうのがミーハーそのものである。そもそも四条の通りにだってイノダコーヒーはお店を持っているんだからそっちで良いじゃないかというものだ。
 お店に到着すると既に4-5名の方が列を作って待っておいでである。すぐの大テーブルは相席OKの少人数の人たちの席のようだけれど、盛大に何人もタバコを吸っていてもうもうとしている。かなり喫煙派に寛大。
中を見ると結構一人で座っている客が多くて非効率な様子が窺える。そのうちにガーデン席でも良ければ、という声が掛かって前の人たちが全部はけてしまう。さすがに寒いから外はいやだと待っていたけれど、禁煙の部屋に空き席がなかなかできないようなので、外でも良いと行ってみると二人席だった。ところが四人席や五人席に一人で座っている人たちが何組もいる。要するにここのお店ではお客が何人組だろうと到着順に優先権があるという確固たる方針を貫いているというわけだった。折角なので「京の朝食」セットを注文。やっぱり室内でゆっくり食べたかったなぁ。
 烏丸御池の駅から地下鉄に乗るために三条を烏丸方向に歩くとすぐに京都文化博物館、中京郵便局、みずほ銀行と私が大好きな時代の建物が続いてなかなか駅に着かない。このあたりは商家も古い建物が多くてゆっくり歩いても楽しいだろうなぁと思わせる。今日は最低三回は乗るからと地下鉄の一日券(500円)を購入。
 これまで何度か降りたことがある今出川で地下鉄を降り、今出川通りを南に下る。すぐの入り口から入ると注意書きに書いてあった集合の清所門がどこなのかわからない。けれど、同じような紙を持って案内図を見ている人がいたので、後をついていくといるいる。みなさん紙を出して中に入っていく。身分証明できるものを持ってこいと書いてあったけれど、宮内庁の腕章をつけた人も、皇宮警察の制服の人も何もいわない。「参観者休所」(いちいち呼び名がわくわくするねぇ)に入っていると多分百人ほどの人がいる。気がつくと皆さんモニターに向かって座っておいでなので多分ここになにか映るんだろうと思ううちになんの前触れもなく荘厳な案内ビデオが流れる。
 案内人の方は20代の女性で、手持ちの小さな拡声器を持ってわれわれをお連れ下さる。もうちょっと性能の良いものはないものだろうか。なにしろ百人が細かい砂利をズルズルしながら歩くので間近にいないときこえない。
 どうやら昭和天皇まではこちらで即位の礼を行っておられたようだけれど、平成天皇のときは東京で行われたのだそうだ。私は殆ど覚えていない。だからここの紫宸殿に入っている天皇皇后が座るところを解体して東京に持って行ったと説明していた。そういえばあちこちのお寺で建物の説明を聞くと「この建物は○○天皇が退位された後紫宸殿を移設し・・」なんて話がでる。代が変わるとそうして建て替えたもののようだ。ずいぶんと贅沢だったんだなぁと今だからこそ考える発想である。建物はあっちもこっちも檜皮葺でずいぶんと大変な造りだ。なにしろこの屋根は25年くらいしか持たないというのだからこれにかかる費用だけでも相当に大変そうだ。何か良いアイディアはないものだろうか。ぐるっと回って清涼殿あたりを後ろから見ると大分痛んでいるのがわかる。御池庭あたりもなかなか手間が掛かりそうで、現に庭師の人が入っていた。もうあと少しで桜が開花するだろうという状態で、一週間も要らないうちにほころび始めるはずだ。
 一時間のツアーが終わるとなんだか歩きなれないところだったせいか疲れた。折角だからと宮内庁管轄の敷地内でトイレを使う・・考えがセコイ。
 昼飯は同志社大学の寒梅館一階の食堂を目指す。何年か前にこの建物の中で勉強会があって、その時に大学そのものの学食ではないけれど、随分気の利いたカフェテリアだった想い出があって、どうせこの界隈に行くのならあそこでもう一度食べたいと思っていた。その時は週末だったけれど、大学に関係のない人たちがどんどんやってきて食べていたのを覚えていたのである。幸い今日はコートもセーターも脱ぎたくなるような陽気で外でパスタを食べる。
 同志社前からバスに乗って今出川通りを東へ銀閣を目指す。銀閣は人の話によると今はメンテに入っていて見られないということだったので、銀閣道でバスを降りてからそのまま哲学の道永観堂へ向かう。両側の桜の並木を見ると本当に時期が来たら綺麗なんだろうなぁと思わせるが今は微かに沈丁花やらちょぼちょぼ位である。それでも今日は暖かいからまだましか。石畳はぴったりと同一面になっているわけではないので高齢者には躓きそうで危ない。外国人で歩いている人にずいぶんと出会う。前後して歩いている親子孫三代のグループは被っている帽子から見るとミシガンから来たアメリカ人のようだ。
 西田幾多郎先生の碑があったり、名の知れたお茶や、料理屋、お土産屋なんてものが点在。永観堂に行くのに右に折れるがそこにおられた警備員の方がこちらからいわずとも「まっすぐ行かれると突き当たりです、右折です!」と先に教えてくださる。「何人にも聴かれて大変なんでしょうね?」と声を掛けるとそうだと笑いながら応えられた。
 永観堂(聖衆来迎山無量寿禅林寺)にやってきたときにはもうぐったりだ。拝観料を払う小屋におられた方に「紅葉の時期は綺麗でしょうねぇ」と話しかけると「そうですが、こんなにゆっくりとは見られません」と仰る。それはそうだろうが、ここはその紅葉があって初めて見物に価値がありそうだ。阿弥陀堂は内部が修復作業中で漆の匂いに充ち満ちていてとても入ってはいられなかった。浄土宗西山禅林寺派というのだそうで、ここの名物は「みかえり阿弥陀」である。この辺を歩いていると一人旅の人たちにずいぶんと出会うものだ。私はなんだかんだ云っても一人旅に堪えられそうもない。南禅寺に向かおうとすると東山学園という中高一貫と覚しき男子校がある。調べるとレッドソックスの岡嶋投手やら、みうらじゅんの母校だという。思わず「お〜、そうかっ!」と声を上げてしまいそうだ。なんでも佛教大学の学校法人と合併することになっているのだそうだ。
 南禅寺に到着した頃には私はぐったりしているのだけれど、いつも身体を鍛えている連れ合いは拝観料を払って三門に登る。どこに行ってもまず最初に高いところに上がることを旨としている人ではあるが(何とかと煙の類か・・)、降りてきて「絶景かな、絶景かな!といってきたか」と聞くもなんのことやらわかっていないというのが至極残念なり。石川五右衛門とこの三門の関係がわかっておらないようである。
 私にとってはお庭もさることながら、ここには琵琶湖疎水の煉瓦積み水路橋「水路閣」が楽しみで、早速駆けつけるも、多くの人たちがカメラを構えて面白いアングルを探し続けていて、いつまで待っても自分のやりたいようにはならない。
 上にあがってみるとなんだかnarrow boatでも動いていきそうな案配だけれど、かなりの水量が流れていく。しかし、この水路はこのお寺さんの境内をぶすっと刺すように横断していて、この水路閣の先は方丈のお庭の奥を煉瓦のトンネルとなって行く。あちこちに分かれているようだけれど、哲学の道の流れもこのひとつ。なるほど大変なことをしたものだ。
 (写真:通称「ネジリマンボ」というトンネル)
 実は蹴上という地名はおどろおどろしいいわれがあるらしいけれど、私が最初に聴いたこの地名は米国に水力利用の調査にいった一行がこれからは単なる水力利用ではなくて、発電なんだと知って最初に作った発電所がこの蹴上の発電所なんだという話だった。一体、どこでいつこの話を聞いたのか残念ながら記憶にないけれど、どうやら当たっていそうだ。
 南禅寺・方丈の枯山水小堀遠州だそうだけれど、蹴上の駅に向かう途中にある金知院(こんちいん)にも小堀遠州の庭があるのだそうだ。今日はそのまま素通り。インクラインの下のトンネルを抜けると三条の大通りに出る。地下鉄東西線蹴上駅に降りるには相当に深く入っていく。
 烏丸御池で地下鉄を烏丸線に乗り換え、四条のコインロッカーから荷物を取り出し、伊勢丹で弁当を買い、枡悟の漬け物を買い、安くてたくさん止まる新幹線で帰宅。良く歩いたものだ。