三鷹にある国際基督教大学の本館は、中島飛行機の設計棟だったのだけれど、あの建物の完成は1941年12月8日だそうだ。
しかし、中島飛行機は中央線の三鷹駅の北側に大きな工場があったので、米軍はもっぱらそちらを攻撃したので、こっちは破壊されなかったのだそうだ。
私はこれまで不思議に思っていた。
なんでこんな建物が空襲で破壊されずに残されているんだろうと。
なにしろ古い建物で、わずか三階建ての建物で、今時の大学でこんな教室棟は珍しいだろうに、なぜか、この学校では学生たちに気に入られていて、スクラップ・アンド・ビルドの話が出る度に反対されている。
この建物の前の広場は妙にでこぼこがあって、ここを学生たちは「バカ山」と呼んでいる。どれかの建物を建てたときに残土を捨てたというので山になっているらしいのだけれど、この広場もまた愛されている。
そういえば、ここの芝生の上で授業を受けた記憶があるなぁ。
今日の大西直樹先生のお話を聞くと、眞子さんも佳子さんもとてもここでの4年間を楽しまれたといっておられた。
ある日ERBの教員用メールボックスの暗いところに学生が二人いて、「君たち、こんなところでイチャイチャしていないで、あっちいって!」といおうとしたらあの二人だった、なんていっちゃったよ、大西先生。