今年の7月22日(水)に日蝕があるんだという話だ。どうやらトカラ列島のあたりでは皆既日蝕になるんだという。奄美大島や種子島あたりだとダイヤモンド・リングにだってなっちゃうのだそうだ。東京だと午前11時過ぎに7割ぐらいが欠けるというんだから相当暗くなって、真夏だというのに涼しい風が吹くという状況になるんだろう。
この日は平日なんだからそんな状況の中でも汗を拭き拭き山手線に乗って客先に行く若いサラリーマンは扉に寄りかかりながらそんな薄暗くなっていく外の景色を見てどう思うんだろうか。「あ、いけない。こんなところでこんな事をしていたんじゃダメだ、南の島にいって暮らそう・・・」と思って次の駅で降りちゃったりしないんだろうか。
張り巡らされた地下鉄を乗り継いで客先をあっちにいったり、こっちにいったり、或いは午前の打合せに部屋に籠もっているビジネスマン達は何も知らずに何百日の、いや何千日のうちの一日に過ぎないと通り過ぎるのだろうか。
日本の陸地での皆既日蝕は1963年7月21日の北海道東部以来で、次回は2035年9月2日の北陸・北関東などで見られる皆既日食なんだそうだ。
あと26年後の次回には確実に俺はいないなといったら、連れ合いが何をいっているんだ、あんたのところは親父もおふくろも長生きだったんだからきっと生きているに決まっている、といやなものでも見るようにいう。そんなこたぁない。俺はあと5-6年だと啖呵を切るが、こんな啖呵切ってもしょうがない。挙げ句におまえみたいに身体を鍛えていると認知症になっても足腰が衰えなくて、徘徊してみんなに迷惑を掛ける、俺のように不摂生をしていると脳も身体も同時進行で衰えてバランスが保てると、見得を切る。こんな見得には大向こうからの声は掛からない。
皆既蝕ではないけれど金環食は2012年5月21日に見られるそうだ。それで充分だ。この日の最大蝕は東京で07時34分だそうだからどうにか堪能できそうだ。しかもその蝕分は0.969だというから(こちら)これは相当に楽しめそうではないか。この年の11月14日には豪州のケアンズあたりで皆既日蝕が楽しめるそうで、春爛漫のQLD州は大騒ぎになりそうだ。このあたりでは翌年の5月10日にも皆既日蝕がある。こんな事が続くとろくな事は起きないぞという話が出そうだ。
1963年というと東京オリンピックの前年だから私は高校一年生だったはずで、全く記憶にない。どうやらこの日は日曜日で、しかも横浜での最大蝕はなんと午前04:41でその蝕分は0.34だというのだから、私が見ていたわけがない。多分白河夜船だったに違いない。しかし、それって一体見ることができたのだろうか?
私の記憶に残っている日蝕というと多分1958(昭和33)年4月19日(土)のものだと思う。記録を見ると種子島・八丈島で金環食が観測されたのだという。当時私は清水市(現静岡市清水区)の三保にいて小学校5年生になったばかりだ。こちらのデーターで見ると静岡では13:16に最大蝕分0.89となっている。学校ではガラスにロウソクですすをつけて見る方法を教わったような気もするのだけれど、実際は色つきの、机に当てるとぱりんと割れてしまうような下敷きをかざしてみたような記憶がある。土曜日の午後1時なんだから学校でみんなで見ていても不思議はない気はするんだけれど、私の記憶に残っているシーンは当時の自宅の庭に映る、太陽の形そのままに三日月のような木の葉の影なのである。家には他に誰かがいたのか、いなかったのかそれは確たる記憶がない。
それ以来、やたらとロウソクを持ち出してきてはガラスの破片をかざして煤をつけ、太陽にかざして遊んでいた。それにしてもうちには仏壇もなかったのに、当時は家の中にロウソクがあるのが当たり前だった。
ちなみに今年は「ガリレオ・ガリレイが、うわさの「望遠鏡というもの」を苦心して作り、それで宇宙を眺めたのは、1609年末(こちら)」だそうで、あれから400年ということで今年は「世界天文年」ということになっているんだそうだ。