ほぼ足りてまだ欲 その先

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祝日

 昨日は一体どんな理由で休みだったんだろうと今更ながら振り返ってみたら「みどりの日」だという。あれ?「みどりの日」って4月29日だったんじゃないのかというと、いやいやこの日を「みどりの日」ってことで前の憲法記念日と次の子どもの日との間を埋めたんだと聞かされた。それじゃ4月29日はどうなったんだと聞いたら「昭和の日」ってんだという。すぐに思ったのは「あぁ、その昔は天長節だったんで、昭和天皇の誕生日という祝日だったんだから、それで天皇制護持主義者達がつくったんだろうなぁ」と類推したら、その趣旨ってのは「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日だということだという。昭和時代を顧みるってんだけれど、顧みるというのは「この場合」どういう意味なんだろう。想い出せばいいんだろうか。そしてそれをどうするかということが重要なはずで、それが将来に思いを致すということになるんだけれど、どんな将来に思いを致すことになるのだろうか。一般的に普通に考えるとこれはまぁ「昭和天皇を記念するという日」なんだと思っているんじゃないかなぁ。
 「みどりの日」は「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心をはぐくむ」日なんだそうだけれど、そういわれてみると子どもがまだ小学生だった頃、わが家は毎年この時期に群馬県六合村の山の中に出掛けていたのでまさにそんな日として過ごしていたことになる。平成になって当時は昭和天皇の誕生日として休みだった日をどうしても祝日として残すために「みどりの日」なんてことにしたわけだけれど、新しい祝日として「みどりの日」をつくるんだったらなにもGWからぽつんと離れた日につくらないでくっつければ良かったのに。どうせこんなことを云ったら、離れていると間に週末が来れば大きく繋がるんだからその方がいいだろうという屁理屈がつくんだろうな。
 「天皇誕生日」としての存在意義がなくなっちゃたから他の理由をつけてキープしておいて、ほとぼりが冷めてから「みどりの日」を追い出してオセロのように休みで挟まれていた4日をクルッとひっくり返して休みにしたわけだ。
 それにしても日本にはいわゆる「旗日」がたくさんある。それはかつての猛烈社員たちがなかなか休めなかった、休まなかった、休ませなかった時代にその存在意義は大いにあった。なにしろ「有給休暇を取るなんてあいつは仕事に真面目じゃない」といわれていた時代だったからね(そんなころ、ぎりぎりまで有給休暇を取って、挙げ句の果てに出張先で腰痛を起こしてとうとう欠勤となってしまった私は一体何だったんだろうか・・)。他国と比べてみると祝祭日の数はかなり多い。連邦国だと州によってその日にちが違っていたりするけれど豪州は年間8日、米国が10日くらいか。日本では16日くらいあるような気がする。
 とにかく何が何でもみんな一緒じゃないと足を踏み出さなかったこの国の感性はこういうことにも充分生かされている、つうわけだ。
 かつて豪州で仕事をしていた頃、仕事仲間から東京はしょっちゅう休んでいるなぁといわれた記憶がある。なにしろ明日なんてなんで休みなのかホンのさっきまで知らなかった。祭日と日曜日が重なったからその代替えなんだそうだ。しかし、そういうシステムが取り入れられてからというもの学校は困っている。やたらと月曜日がお休みになってしまうからだ。月曜日の授業を取ると回数が少ない。
 しかし、わが母校の大学では一定回数以上の授業回数を満たさなくてはいけないということになっていて補講をすることになっている。だから、試験期間直前まで授業が行われ、学生は試験準備に入っているにもかかわらず試験の情報が語られるのが見え見えなので行かないわけにいかない。母校では最後の授業で試験をやってしまうという風潮が盛んだった。そうすれば遠路はるばる非常勤講師の先生方にとっては試験期間にまたやってくる手間が省ける。どうも昨年の状況を見ると試験期間に試験をやることが方針として打ち出されてきているらしい。
(追記:これを書いてからぼーっとテレビを見ていたらよみうりテレビ-日本テレビ系の「ミヤネ屋」とかいうワイドショー(この言葉も変わった言葉だなぁ・・)でこれと全く同じ話題を取り上げていた。なんでこんな追記を書くのかといったら私はこのテレビ番組をパくったんじゃないんだという主張がしたいからに過ぎない。やれやれ・・。)