ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

いつものレクチャー

 二週間に一度のいつものレクチャー。朝9時から始まっていた参議院予算委員会の質疑が始まったのを横目で見ながら、テレビを断ち切って出掛ける。目覚めがいつもより遅くなって到着はぎりぎり。空いているのは一番前しかなく、端っこに席を占める。窓際に座ったのは初めてで、外の景色は雨に濡れた緑でなかなかのもの。
 第一次世界大戦でなぜ日本は参画したのか。日本の欧州駐在武官を経験した陸軍の将校は一体何を日本に伝えたのか。
 保阪正康の話によると先日毎日新聞が、あたかもこれまで誰も発見したことがない話のように伝えた記事があって、これについて保阪にもコメントを求められたという。その記事はこれ。

栗林中将:若き日に寄稿 内部報に軍の体質改善求め
 太平洋戦争末期に激戦地・硫黄島で日本軍を指揮した栗林忠道中将が、騎兵中尉だった1919(大正8)年に軍の内部報で「将校が兵士に機械的軍紀服従を教えても時流に適さない」などと、軍の体質改善を求める寄稿をしていたことが13日、分かった。クリント・イーストウッド監督の米映画「硫黄島からの手紙」(2006年)で、俳優の渡辺謙さんが演じて脚光を浴びた栗林中将。海外経験もある開明派で、若手将校時代から、精神論が幅をきかせた当時の軍に幅広い視野を持つよう訴えていたことを裏付けるものだ。
 寄稿は「国民思潮ノ推移ト軍隊教育ニ就テ−吾人将校ノ覚悟」と題し、陸軍将校の親睦(しんぼく)団体「偕行社」が発行する会報「偕行社記事」の大正8年6月号に掲載された。同団体が戦後出版している会報に改めて掲載されていた寄稿を中将の郷里・長野市市民グループが発掘した。
 当時28歳の中将は「将校は典範令(軍の教科書)のみの研究で十分とすることはできない」と指摘。大正デモクラシーを背景に「民主主義にかぶれた下士卒(兵士)に高圧的なのは反感を抱かせるだけで、主張を述べさせた上で納得させる努力をしなければならない」と主張した。
 さらに、将校は自由主義社会主義を研究する必要もあるとして、「知識がなければ(兵士を)心服させることはできない」と、進歩的な姿勢をうかがわせている。市民グループのメンバー、原山茂夫さん(80)は「中将の軍隊時代の言動は研究が少なく、今回の資料は重要だ」と話している。【福田智沙】
 ◇反戦の空気あった
 ノンフィクション作家の保阪正康さんの話 当時は第一次世界大戦直後で、世界的に反戦の機運があった。陸軍の若手にもそうした空気はあり、寄稿はそれを代弁している。一般中学で学んだことも中将のバランス感覚に結びついている。昭和に入り、そうしたリベラル派が軍中枢に入れず、硫黄島などの前線に送られたことが日本軍の悲劇と言える。(毎日新聞 2009年5月13日 23時00分)

 当時の偕交社の機関誌にはこうした論調というのはさほど珍しいものではないし、これまでにこうしたことが書かれているということは周知の事実だったし、今回保阪に指摘される前に私もどこかでこの話は聴いている。文献を思い出せないということは保阪から聞いた話かも知れない。
 保阪はその旨をきちんと話したというが、この記事ではその部分は見事に削られてしまっている。この人が見つけたのは初めてだったかも知れないけれど、他の人たちは既に見つけているということになるのか。新聞記事はこういう背景があり得るということだ、今更だけれども。
 近代科学が発達することによって一気に戦争を悲惨なものにしてしまったという事実を本来的には第一次世界大戦から私たちはしっかり学ぶべきだった。
 東条英機大正8年(1919年)8月、駐在武官としてスイスに赴任。大正10年(1921年)7月にはドイツに駐在。「ドイツ軍人が戦争に負けたのではなくて、国民のナショナリズムが欠けていたのだ。
 石原完時:明治22年(1889年)生まれ。ドイツに留学。文献を読みあさり殆ど人と接触をせず「世界最終戦総論」を表す。最終戦争の後には安寧が来るとする。
 永田鉄山明治17年1884年)生まれ。大正2年(1913年)ドイツ駐在。大正9年1920年)に駐スイス大使館付駐在武官。高度国防国家論。「戦争に堪えられる国家」。
 日本は太平洋戦争で本土爆撃が始まるまで、本来的な意味で戦争の悲惨さについて真正面から取り組むということをしてこなかった。未だにそこから目をそらし続けている。田母神が「日本は侵略したのではない」と主張し続けることは彼の立場にすれば当たり前のことだろう。そうでなければ、日常的に訓練に励む原動力が存在しないことになる。だからといって史実をねじ曲げてはならないはずだ。
 しかし、北朝鮮に対して「彼らの基地を直接叩く権利がある」という人間は戦争の内実、歴史をふまえた上で説明してからこそその権利を持つのであって、そこをすっ飛ばしてこうした大変な発言をすることに対する責任を確実に感じているというのだろうか。
 こうした保阪のスタンスは全く揺るがない。
 帰路、紀伊国屋に寄って入手。それにしても本屋の店頭は村上春樹本がめったやたらと積み上がっている。彼の本で読んだことがあるのはシドニー・オリンピック観戦記だけだ。偏り過ぎか。

松本清張の残像 (文春新書 (290))

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物語 スイスの歴史―知恵ある孤高の小国 (中公新書)

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 歩いたと思ってもたかだか6300歩。