ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新宿

 2週間に一度の新宿へ出掛ける日。座骨神経痛がだいぶ軽いのは朝からそれほど冷えていないからだろうか。それともじっくり風呂につかり、腰に膏薬を貼り、ホッカイロを背負って一日過ごしたからだろうか。確かに今日の陽気はことのほか暖かい。私は途中から一枚カーディガンを脱いだ。
 先輩から「運動不足は良くないんだぞ」というご忠告を頂いた。今日は出掛けたついでに本屋を巡り歩いたおかげか、大分軽快だがやっぱり立ったり腰を下ろしたりする時がちょっとやっかいだ。猫が遊べ遊べとせがむので、その度に立ったり腰を下ろしたりするのにちょっと難儀。
 今日の保阪正康の話で7日付の毎日新聞の記事が話題になった。ちょっと長いが引用する。

太平洋戦争:旧海軍大将らの証言記録、刊行準備進む
 旧日本海軍の大将ら幹部47人が、太平洋戦争を振り返った膨大な証言記録を旧海軍OBらで構成される団体が保管。来年春の刊行を目指し、準備を進めている。戦後、公の場に出ず「沈黙の提督」と呼ばれた井上成美(しげよし)、嶋田繁太郎元大将らが後輩の元軍人の聞き取り調査に応えたもので、昭和海軍の実像を伝える貴重な資料だ。【栗原俊雄】
 記録を保管しているのは、旧海軍OBらが構成する財団法人「水交会」(東京都渋谷区)。1956~61年ごろ故・小柳富次元海軍中将らが聞き取り、冊子にしたもので「小柳資料」と呼ばれる。全44冊、400字詰め原稿用紙で約4000枚。元大将が10人、中将が30人(うち陸軍1人)。
 嶋田元大将は戦後、外部の取材には一切応じなかったという。だが小柳元中将に対しては能弁で、1941年12月8日の真珠湾奇襲成功後、衆議院で戦況を報告した際に議員の「感激熱狂振(ぶ)り」をみて「これからが難しくなるのだ。肩に重荷を感じ、胸つまる思いであった」と当時の心境を述べている。
 また山本五十六連合艦隊司令長官と親しかった井上元大将が、「(山本が)対米作戦に自信がないと云(い)うことであれば、職を賭しても太平洋戦争に反対すべきであった」などと山本の言動を批判している。
 栗田健男元中将は1944年10月、連合艦隊が敗れたレイテ沖海戦で主力艦隊を率いた。当初の目的、米軍輸送船団砲撃の寸前まで迫りながら撤退したことが海戦史上の「謎」とされている。栗田は艦隊が連日、米機動部隊の空襲を受け「敵の制空権下では水上部隊の戦闘は成り立たないと思った」と証言。またフィリピンの味方航空部隊が想像以上に脆弱(ぜいじゃく)だったと振り返った。「謎」をとく一つの鍵になりそうだ。
 水交会では「小柳資料」は非公開だったが、後世の研究に役立ててもらおうと刊行を決めた。資料の写しは防衛省防衛研究所(東京都目黒区)で2001年ごろから順次公開されている。
 昭和史が専門のノンフィクション作家、保阪正康さんは「身内に話すという安心感からか、外部には口を閉ざし続けた元軍人たちが、驚くほど多くのことを語っている。昭和の日本海軍の全体像をうかがわせる資料だ」と話している。
毎日新聞最終更新 2009年 12月7日 3時00分)

 実際に保阪がA4両面にコピーしたものを持ってきていたけれど、それは厚さが優に5cmは超えているほどの分量だった。戦友会が精神的にも受け入れられる関係にある唯一の集団だったという要素もあるけれど、身内としての心の吐露できる関係だったように、先日のNHK海軍反省会テープもまた身内意識があるからこそ語ることのできる関係だったわけだろう。その点でもこの小柳資料がどれほどの真実を含んでいるだろうかという点については興味が募る。記事中にあるように本当に刊行されるのであれば、待たれる資料だろうが、実際にこの種の資料を入手しようとする人がそれほどいるのかどうかははなはだ疑問。
 保阪が常に指摘しているように多くの元高級軍人による回想記には往々にして手柄話、自画自賛のものが跋扈する。だから書店の近現代史の棚にいってもそうした書物が溢れているので殆ど手にしない。そういう点では保阪が紹介してくれる書物が私にとってははなはだ有益である。
 今日もならば入手しようと本屋で下記を入手。保阪があとがきを書いているこの著者が台湾沖海戦の戦果に誇張があることを鹿屋で知り、大本営に報告するも、それを握りつぶしたのが瀬島龍三であったことを本人は瀬島から聴いたというが、その後保阪が瀬島に確認しようとすると瀬島はそれを否定したという。しかし、この本を読むと堀が嘘をつくとはとても思えない。しかし、現時点でも瀬島の社会に於ける何のいわれかわからぬ評価は堀よりも高いように見える。
 本書は1996年に文春文庫になっているが現在でも13刷となって書店の棚で容易に見つかる。

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

 今日は新宿で書店に入ることなく、一直線に日本橋丸善に足を向ける。そこで上記文庫を入手したのだけれど、新書の平置きを見ているとなんと保阪の新しい新書を発見。全く多作だ。
 また、珍しいところから出ている。帯に「山本五十六の死は自殺だったのか?」と衝撃的なことが書かれている。中身を読むとそうかも知れないと確かに思う。
 保阪のこの文を読んでなるほどと思った。ちょっとこれも長いが引用する。

p.32
 戦争というのは確かに良くない。だが私は、あえて誤解を恐れずに言うが、あの時の開戦に関して一概に否定はできない面があるようにも思う。当時アジア、アフリカの多くの国々は、三百年にわたって欧米列強の植民地として搾取されていた。その時日本が、軍事的には弱小国ではあるけれど、帝国主義的な支配、植民地主義の鉄鎖を断ち切らなければいけないと、世界に向けて異議申し立てをするという決意表明がもし開戦詔書の中に入っていたら、どの様に受け止められたであろうか。歴史的に日本を支持する国も多かったのではないかと思う。

 実は新宿からなんでわざわざ日本橋丸善に一直線に移動しなくてはならなかったのかというと、こちらの本のためだった。

 四代目を襲名した小猫改め猫八が書いた本。20日の日曜日にこの丸善で彼のサイン会があると聞いて予約していた本だ。なかなか丸善からは連絡がないのだけれど、いくら何でももう出ているだろうと来てみたら案の定で、平置きしてあった。いそいそと金を払って受け取って、そのあとで「何の連絡もなかったんだよ」と言ったとたんに三階の勘定場は、緊張がみなぎった。だからそのあとは三階にあがれなかった。
 そこからなんということか、京橋の八重洲ブックセンターに立ち寄って地下を冷やかし、伊東屋でちょっとしたものを買い求め、教文館で週刊誌を一冊。折角ここまで来たんだからと昼飯をやっぱり松坂屋の地下に潜ってみようと二駅分歩いて戻ってきたのだ。

 この写真をここに掲載できたと言うことは、「肉のスギモト」で「黒毛和牛すき鍋800円なり」を食べることができたということなんである。これは私にとって二度目の快挙である。行ってみるとさすがに午後2時半を過ぎていたからぽつんと席が一つ私のために空いていたのである。いそいそと座らせて戴く。落ち着きゃしないのだ。
 牛肉は長ネギが下に敷かれていて一見したところでは見えない。あとは玉葱と糸蒟蒻、焼き豆腐、椎茸が一つ、そして三つ葉が散らしてある。汁は甘めなんだけれど、しっかりしてかき混ぜるのにこりゃ新鮮だ、と感心するほどの生卵をくぐらせると実にこれは美味。奈良漬けの嫌いな私にはこの二きれは余分。味噌汁よりも私にはお茶があればそれで充分。こんな美味しいものを食べちゃったので、帰り道に社会鍋に小銭を洗いざらい入れる。