ほぼ足りてまだ欲 その先

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海軍特攻隊

 昨日のNHK総合テレビクローズアップ現代」が「なぜ遺書は集められたのか 〜特攻 謎の遺族調査〜」というタイトルだったそうだ。というのは私は見ていない。多分有料のオンデマンドでは見ることができるのだろうけれど、私は料金の二重取りが釈然としないので、見たくない。しかし、中身は驚くべきことであった。
 なんでそんなことがわかるのかというと、NHKはこれをテキストにして一般公開しているのだ。こんなことをするのであれば、NHKが言い訳している法令の改正を政権にお願いして、このオンデマンドを無料にして公開するべきだと私は確信する。
 そのテキストというのはこちらにある。
 海軍の特攻隊となって出撃していったおよそ2,000人の兵士のうち約1,000人の人たちの遺書、遺品が海上自衛隊第一術科学校の倉庫に眠っていたというのだ。
 どうやってこれが集まったのかといえば近江一郎という特務機関の一員を名乗る男がすべての遺族を訪ね、回収していったことがわかっているのだそうだ。近江一郎はたったひとりでこの作業をしたのかといったらそんなはずはなく、戦後必ずや復活するであろうことを願う旧帝国海軍の戦後処理機関であった第二復員省が絡んでいたことがわかり、実際には終戦の日まで特攻作戦を命じた最高指揮官の1人である寺岡謹平元海軍中将がおり、その下には特攻作戦の現地司令部で先任参謀を務めていた猪口力平元海軍大佐がいて近江一郎を動かしていたことがわかっている、というのだ。
 しかし、海上自衛隊がこれまでこの膨大な遺書、遺品の存在を知らなかったはずがあるだろうか。今になって初めてその存在に気がついた、ということがあるだろうか。
 これらの遺書のうちたった7通だけれど、昭和26年に刊行された「神風特別攻撃隊」なる本に収録されている。もちろんこの時期に刊行された書籍のほとんどは戦中に痛い目を見なかった内地に残っていた高級将校たちによるものがほとんどで、実際に戦場にいて痛い目にもあい、食料のない状況で苦しんだ兵士たちはまだその口を開かない時期で、高級将校たちの言いたい放題の勝手な見解が多いという保阪正康の指摘そのままの内容だったようだ。
 問題はこれら千通になんなんとする遺書を今後どう扱っていくのだろうか、という点にあるだろう。そのまま知覧の某施設のように涙、涙、我が国の繁栄は彼らの命と引き替えにもたらされたものだ、云々となってしまう愚だけは避けたい。