ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

八ッ場ダム

 民主党衆議院議員選挙に大勝したそのときからもう既に群馬県を中心にダム建設を推進しろ、という声をマスコミは集中して取り上げてきている。

  • 東京都の不良小説作家知事:「やめるなら今まで負担してきた金を返して貰おうじゃねぇか」といった。その後議会では「民主党は大勝されたわけでしょうが、その結果が、民主党の公約のすべてを国民が是としたことでは絶対にない(東京新聞2009年9月16日)」とも発言している。笑止千万である。それでは君の主張のすべてを東京都民が是としたことでは絶対ないといってあげても良い。
  • 大澤正明群馬県知事:「地元住民の意見、関係市町村、共同事業者の1都5県の意見を聞くことなく、建設を中止としたことは言語道断であり、極めて遺憾。速やかに抗議する」
  • 福田富一栃木県知事:「事業計画を中止する場合は、法律で、流域県の意見聴取が必要になっており、手続きが省かれている」
  • 森田健作千葉県知事:「現地を視察して地元の意見を大事にすると言っているので、もう少し注視したい」
  • 上田清司埼玉県知事:「一時中止となるかもしれないが、国も地元と落ち着いて議論すれば、結局は継続せざるを得ないのではないか」(毎日新聞 2009年9月17日 11時40分 最終更新 9月17日 13時40分)
  • 高山欣也長野原町長:「八ッ場ダム下流都県には治水と利水で、地元には生活再建で必要。地元住民との対話を望む」(東京新聞2009年9月17日)
  • 八ッ場ダムの建設推進を求める都県議でつくる「八ッ場ダム推進議員連盟一都五県の会」:「ダム建設に翻弄(ほんろう)されてきた地域住民の心情を無視するばかりでなく、国と地方の間の正当な法手続きの積み重ねを全く顧みようとしないもの」と批判(東京新聞2009年9月16日 朝刊)

妙に引用先が東京新聞ばかりになったのは別に意図があったわけではなく、偶然である。
 現場に通りかかるとテレビのニュースで良く取り上げられる「八ッ場ダム湖面2号橋」の橋脚がにょきにょきと立っていて異様な光景を見せているが、あの状態を初めて見た時はその異様さに本当に驚いて二の句が継げなかった。
 公明党公明新聞のサイトで見ると「水没予定地の340戸のうち、約8割の257戸がすでに移転」しているという。
 これまでマスコミがこの地域を取り上げたのはどんな話だったかというと、「ダムができると湖底に沈んでしまう、あぁ、なんともったいないのでしょう!川原湯温泉」一辺倒だった。これしか誰も語らなかった。「ダム建設反対」という立て看板が「ダム建設促進」の立て看板と並んでいた中をくねくね道をゆっくり走っていた頃、吾妻渓谷がマスコミに取り上げられるなんてことは殆ど皆無だった。だからどんなことになっているのか知らなかったけれど、まさかあの計画にダムができて水没するなんてことが今時実際にできるわけがないと思っていた。
 しかし、群馬県は土建業界の発言力は大きいところでもあるし、昔から人知れない山奥を切り開いちゃうとか、小さなダムを造っちゃって下流域に水がいかなくなったって困るのはせいぜい小さな漁協、あるいはそこから入漁券を買ってヤマメ釣りに入る物好きくらいだってなもんで、結構力ずく土建工事が進んではいた。
 反対運動が1990年代になって力尽きて実行段階に入ってからもほとんど話は聞かなかった。1999年になって6年ぶりに通ってみて初めて実感した。その頃それでもまだ反対する会が動いていることも知ったけれど、それはひとえにネット環境が整備されたことが大きい。これがなかったら知らなかっただろう。なにしろマスコミは何もいわなかったし、川原湯温泉のことだけだったから。
 ここまでしかかった八ッ場ダム建設工事中止に対する反対意見の殆どは「生活環境再建中の地元民がやってきた苦労はなんのためだったというか、あの時間を返せ、これから先、どうやって暮らしたらよいというのか、補償しろ」ということではないか。
 仰るとおりで現地住民は大変な目にあった。もう充分だ、勘弁してくれ、という気持ちはよくわかる。こんな高台に引っ越しちまってどうしてくれる、どうせ水没するんだと古いまんま暮らしてきたけれど、これからそのままって訳にはいかないぞ、どうしてくれる、という気持ちもよくわかる。
 4600億円の総事業費に対してこれまでに既に7割の3217億円がすでに移転代替地の造成などに遣われている。しかし、一説によると本体工事に入ると残りの3割の事業費規模では賄えないのではないかともいわれている。根拠が何か知らないけれどかつてはこの建設工事事業費は8000億円にも達するのではないかといわれたことすらある。当初の予算では2100億円だったのに。行くも地獄帰るも地獄が待っている。
 それでもやめた方がよいと私は考えている。そもそも反対運動が沈静化した時点でもう既に計画時と大きく水需要は変わっていたはずであり、そこで計画を謙虚に見直すことをしなかった建設省官僚には職務の怠慢があったということでもあるし、目先の利権しか考えてこなかった小渕、福田、中曽根といった地元選出議員一族が主要ポストを占めてきた自民党という利権政治や集団に大きな責任があることを認識するべき時点が来たということだ。こうして見ると群馬県選出の自民党議員というのはみんな世襲だ。こんな美味しい地盤を誰か他人に渡してなんかなるものか、となるのはよくわかる。
 幸いなことにダム本体工事にはまだかかっていない。結果的にダムを建設した場合と同じような金額がかかってしまうかも知れないけれど、田中角栄から始まった土建工事で日本をずたずたにしなくて動いていける日本を考える良いケースとして捉えよう。私たちは基本的なこの国の構造を変えようということに踏み切ったのだから、地元住民にいやな思いを再びさせて申し訳ないけれど、考え直そう。これまで利権を得てしまった人たち、この上また得たいと思っている人たちが、これまでの発言・行動の故に面子があって揶揄することはまだまだ続くだろう。それでもやらなくて良かったという時期が来る。