ほぼ足りてまだ欲 その先

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変わらない人もいる

 八面六臂の大活躍の友人がこのブログを評して怒りのブログと仰る。いやいや、そんなこたぁありませぬ。私は宮武外骨ではありませんとお答え申し上げる。そういえば宮武外骨NHKで取り上げられたりしたから今では人に知られているんだろうと思うが、あの人は何度逮捕されても負けずに悪さをする権力財力に抗ったわけで、炎上を恐れてコメント欄を閉めちゃう私のような小心者とは訳が違う。彼は平気で命をかけているのに対して、私は小心翼々として世の片隅を歩いているに過ぎない。

 久しぶりに、ある人に出会うというよりもたまたま遭遇してしまう。彼女は自分の気持ちを素直に表現することができないという可哀相な人なんだと私はずっと思っているので何をいわれても腹を立てるつもりはないのだけれど、何年ぶりかであった私に「なんだ、まだ生きていたのか!」という。いくら私を嫌っている人でも会うやいなや「まだ生きていた」とはさすがにいわない。
 恨みを買っているきらいがないでもない。私が尊敬している先生の授業に彼女も出席していたことがあるのだけれど、彼女は頭から「あの先生のいっていることは理解ができない」と斬り捨てようとする。それまで彼女の非常に浅い人の理解の仕方にしばしば遠慮がちに苦言を呈してはいたのだけれど、その時はさすがにカッと来てしまって「アサーティブ」なんて概念はどこかに吹っ飛んでしまい、「あんたは人を理解しようとなんて全然していない、わからないというのはわかろうとしてみてから断じたらどうだ!質問をぶつけるわけでもなく、先生と直接どこかで議論するわけでもなく、勝手に断じるのは許せない!」と切れた。ひょっとしたら「あの人を理解できないのはあなたの能力に限界があるからだ」くらいいったかも知れない。それくらい私はカッと来ていた。
 世の中にはいろいろな人がいるということである。