ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 昨日に続いて今日もまた天気は上々で、まるで夏がやってきたようだった。地下鉄を京橋で降りて、エスカレーターで地上に上がろうと乗った途端に想い出した。そうだ!新宿の伊勢丹で夏物バーゲンをやっているんだった!しまったあっちへ行くンだった。そこから直ぐさま丸の内線に乗り換えて新宿へ行けば良いのに、どんどん歩いているうちにまたそんなことを忘れてしまって、教文館にまた上がってしまった。
 一階だけにして週刊金曜日を買って出れば良かった。それなのに、何の気なしに二階へ上がり、ひょいとみすず書房の棚の前を通りかかったら「小尾俊人の戦後」という本を見つけてしまった。

 みすゞが取り上げるこの見慣れない名前はなんだろうと手にしてみると(そもそもこの行為がいけない)なんでもみすゞの創業者だというのだ。魅力的なラインナップを次々に出版しながら、どれもこれも高価なものばかりで、古本屋でもなかなかたくさん出るわけでもなく、出ても安くならない、そんな本を生み出す会社を始めたのは一体どんな奴なんだろうかとはなはだ気になる。そもそもこの名前は一体何と読むのか。こんな苗字を聞いたことがない。「おび としと」というのだそうだ。5年前に他界してその時89歳だったという。みすゞの本らしく、なんと3,600円もする。卒倒しそうだった。こうなればヤケだと持ち帰る。
外骨戦中日記

外骨戦中日記

 そのすぐ横でこんなものを見つけてしまった。外骨とはかの宮武外骨である。著者は勿論外骨の甥である。河出から出ている外骨にかんする著作はすべてこの甥が著者である。私は豪州で一度外骨の親戚だという宮武姓の青年に出逢ったことがある。「まるで宮武外骨を想い出す苗字ですね?」と申し上げたらびっくりしたような顔をして、そう仰った。当時はあまり外骨のことを蒸し返す人もいなくて、吉野孝雄の著書をたまたま読んでいた私だったからこんな状況に遭遇したといって良いだろう。
 著者が書くには昭和16年から昭和21年4月まで、不明だった外骨の記録が鉛筆書きの日記が見つかって昭和19年9月から昭和21年2月までを埋めることができたのだと書いてあって、これまた興味をそそられてしまった。
 冒頭を読むとわかるのだけれど、博報堂の創業者である瀬木博尚と宮武外骨は石川島の監獄での知り合いで、博報堂の創業に宮武外骨はひとかたならぬ役割を果たしているそうだ。へぇ〜!で驚いてしまう。今の博報堂にそんなDNAが伝わっているとはとても思えないが、電通よりはまだマシか。そんなことを書いたら、今でも社団法人博政会から東大明治新聞雑誌文庫には経済援助が続いているそうだ。偉いな、博報堂
 ところで、宮武外骨は反骨の人として知られるが、太平洋戦争直前にもかなりな発言をしている。今だったらそれは誰だろう。岩上安身か?佐高信か?斉藤貴男か?
 こんなものを抱えて、新宿へはますます行きにくくなってしまった。ええい、ままよと足は一路8丁目の天國へと向かうことにした。教文館の前あたりから西へ向かえば向かうほど辺り一面中国語の氾濫となり、そろそろ爆買いも終わりだという割には、人の数は減っているように見えない。そういえば前のように炊飯器や電化製品の類いを抱えている人をそんなに見ない代わりに、旅行鞄やユニクロの袋を抱えている人はかなり見る。その証拠にGUに上がってみたらほとんど日本語が聞こえない。
 また天國でお昼天丼を食べた。昔の松坂屋地下にあったハゲ天のダイニングインが懐かしい。決して天國のランチ天丼がまずいって訳じゃないけれど、松坂屋地下のハゲ天の天丼と、乾山のカツ丼は文句なしだった(こういう何回も書いている話を百回話というらしい)。
 隅っこに陣取っている50歳がらみ(こういう時にアラフィフティとでもいえば良いのか)の男がさっきから何回も携帯電話で話している。日本人だったらここまでやる奴も珍しい。こいつは見ていると「すみませぇ〜ん!」まるで小学生の子どものような声を上げて仲居さんを呼ぶ。お茶だったり、お代わりだったりする。良く喰う!オヤジのくせに定食屋で飯をかっ込んでるような喰い方をする。挙げ句に仲居さんになんかいっている。はなはだ気にくわない。
 平日のこの時間(もうとっくに1時を回っている)は自分もそうだが、どうも年寄りのひとり客が多い。自分ではこの歳になったらそうそうこの種のものを喰っちゃいかんなと思っているのだけれど、それでも結構年寄りが来る。そういえばあの乾山でも昼飯にカツカレーにとりかかっているお婆さんなんぞに遭遇したものだ。得てしてそういう元気な年寄りは婆さんで、爺さんはその半分にも満たない。
 どうせここまで歩いたんだからと、今度は踵を返して日本橋丸善まで歩いて、あそこでプラチナの万年筆を見てやろうという気になった。極細ってぇのがどれくらい極細なのかを知りたいのだ。陽差しはやたらと強いのだけれど、風が吹いていて、日陰を歩いていさえすればまださほど辛くない。
 丸善の地下の万年筆売り場にいくと、まさに丁度そのプラチナの「3776」という万年筆の前に高齢の女性が立っていて、店員の女性と持ってきた万年筆のことでやりとりをしている。それがまた実に奇妙な話で、その万年筆はカートリッジをさして使っていたらしいのだけれど、カートリッジが刺さらないといって持ってきたらしいのだけれど、店員がいうには何かが刺さったままな状態で無理矢理上から押し込んだので、それがとれなくなっている、つまり蓋をしたような状態になっている、というのだ。その刺さったままなのは一体何?
 そんな面倒な話をしていてとても見せてちょうだいなと割り込める雰囲気じゃない。いやぁ、買う気があるわけじゃないから、実に弱気な撤退だった。地下鉄で帰ってきたら大層草臥れたので、牛乳ソフトクリームを立ち食いした。贅沢な一日だ。NHKの首都圏特報で見た地下鉄の売店で働く非正規の女性たちの話を聞いていて、誠に申し訳のない思いがした。
 今日から街は祭で、あちこちが浮き足立っている。
 9,653歩