ほぼ足りてまだ欲 その先

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無理だ

 今朝、外国暮らし合計18-19年になる友人からメールが来ていた。彼は「日本人は他の民族と比べると異文化からの主張に対して優しい、あるいは他の言葉でいうとひよわだから、異文化の大量流入があった時にこれまでの生活の快適度を享受するのは無理だろう」という。移民慣れしている国の人たちのように見て見ぬ振りができないだろうと。
 例えば東アジアの人たちと単純に外地で遭遇した時に比較すると、彼等は実に見事に自分を主張してそれに対する賛否をはっきりと要求するのに対し、往々にして日本人は“そこまでいわんでも良いだろう・・”といって決着をとことんつけようとはしない傾向にある。でも、心の中に不満が残る。でも、それがもうストレスになる。私たちは慮ると云うことを要求するけれど、彼等はいやだったらいやだと主張せんかい、と思っている。
 私たちは分からなかったら聴きに来いと思っているけれど、彼等は間違っていたら教えろよ、という。でも、私たちは(面倒だと云うこともあるけれど)あえて火中の栗を拾うのはやめておこうと思っている。この辺の接し方はどこの地でもどこの民族でも一緒かと思うとそうでもなさそうな気もする。日本人は相手から何かを引き出すにしても媚びを売ってまでもそうしようとしているのかといったらそうでもなさそうな気もする。


 もしこの高齢少子社会はその人口減少、高齢社会をそのままにしておいて移民を受け入れることなしに成り立つことができるのだろうかということになる。
 絶対労働人口の減少状態ではこれまでこの国を支えてきた産業構造はもう成り立たないだろう。既存の基本的産業構造がもう成り立たないということになるわけだ。例えば、国際経済が急速に回復したとすると今度は補助を得て南米に帰った日系人たちはすぐには入国ができないからこっちからの労働力の導入は以前のようにうまくはいかない。労働者派遣法が製造現場を制限外においたことで成り立っていた集約産業はこれだけ国、国民の負担によって成り立っていたことがばれてしまった。今のところ殆ど取り上げられていない外国人の研修ビザくらいで入れてくるのだろうか。
 こうした小泉-竹中組がぐちゃぐちゃにしてしまった労働環境をそのままにしていくことは現在の失業率を見ていると、多分今後は赦されないだろう。
 となると、製造業の殆どのジャンルは東アジア、東南アジア方面に出て行くしかなさそうだ。となると労働力集約型ではない産業を核としていくしかなくなってくる。それは革新技術の開発とそれを元手とした産業じゃないかということになる。つまりとてつもなく大きな産業構造の変革が実現できないとこの国は徐々に衰退していくはずだ。それが間違っているとは私は思わない。しかし、そのためには「覚悟」が必要だと思う。