ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

さくらや

 さくらやが全店閉店しますというニュースを読んでいたら、さくらやというのはとっくにベスト電器の子会社になっていたのだそうで、さくらやのポイントは全部ベスト電器が肩代わりするんだけれど、そのベスト電器の議決権の15.08%はビックカメラが持っているんだそうで、どこまで続く芋の蔓、てなもんだ。
 本当に安いのかといったらそれほどのことではないし、中には市中で買ったってビックカメラで買ったって全くディスカウントされていないものだってあるんだけれど、とにかく昔のデパート(百貨店といったくらいだもの)のようにあそこに行けばその分野のものでないものはなくて、すべてを比較できちゃうというのは購入者側からいったらとても便利なわけだ。
 街の中の本屋では揃わなくて当たり前だけれど、ブック・センターやら丸善ジュンク堂に行ったらないものはないんで、そのジャンルで今入手可能なものはすべて見られるわけだから、そういうところにどうしても足が向く。
 購入者がもう待つという余裕がなくなった。かつてはそこにないものはお願いして取り寄せて貰っていた。それまで待った。本だけではなくて、電化製品にしたって、洋服にしたって、取り寄せて貰った。
 在庫を置くことができる店舗というのはそれだけ多くのリスクを冒すということになるのだろうか。何故そこまでやらなくてはならなくなったんだろうか。確かにその方が便利だけれど、じゃ、それまではなんでそんなことがなくても良かったんだろうか。
 一体全体、今現在最も効率的なものはなんだろうか、費用対効果でコストパフォーマンスが高いのはなんだろうかと追求していくのがこの国のすべてをつくりだしているのかも知れない。その結果、何もかもてんこ盛りで、確かにひとつひとつの商品を見ていくとそこに盛り込まれた機能は驚くほどだ。多分この国の消費者がこうした製品をもてはやす、その「浮かれた」足下そのままの態度がこの国を動かしているのかも知れない。
 はなはだお粗末な例で申し訳ないけれど、例えばシャワーヘッドひとつを取ってみても、私が知っている某国(何ももったいづけなくても良くて、それは豪州だけれど)なんかだといつまで経っても何十年も変わらないタイプのシンプルな、その代わりいつどこででも全く同じものが入手できる。ところがこの国ではどんどん新しいタイプのものが発売されていく。
 例えば靴にしても、つい一年前に買ってとても調子が良かった靴はもうそんな版はとっくになくなっていて、金輪際手に入らない。豪州に秋がやってくるとセーター売り場には去年も一昨年も同じように同じ値段で売っていた全く同じセーターが並ぶ。隣の爺さんが着ているのと全く同じメーカーの同じセーターを私も今年買うことができる。
 しかし、こうした先を追いかける消費動向がこの国を動かしているのかも知れない。これが停まったらこの国の経済もまた停まるのかも知れない。どうしてこんなことが成り立つのかといったらこの国の国民性が飽きっぽいという性格にひとえによっているのかも知れないな。目先が変わればまた手に取るという性格なんだろう。
 ま、そんなこととは別に、私が使っている携帯電話(あれ?どこに置いてあるんだろう?)やカメラはいったいすべての機能のうち、私は何%ほどを使いこなしているのだろうか。そうした機能を使いこなしている人なんてそんなにたくさんいるんだろうかね。