ほぼ足りてまだ欲 その先

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大学教育の基礎

山形大は「話し言葉を書かない」など新入生が大学で学ぶうえでのいろはを教える「スタートアップセミナー」を4月から新入生の必修科目とする。
(中略)
立松潔教授(経済学)は「早急に学生のレベルを底上げする必要を感じた。できる学生とそうでない学生に開きがある」と危機感を抱いている。
(中略)
「作文力を高めよう!」「文の書き方の原則」「授業ノートのとり方」など26項目を説明。「文の長さは30〜40字くらいを目安とする」などと記している。文部科学省大学振興課の担当者は「大学生に対し、これほど基礎的なことをテキストまで作って教える例は聞いたことがない」と話している。【細田元彰】
毎日新聞 2010年2月8日 12時14分)

 文科省は聞いたことがないといっているがこれは認識不足も甚だしい。如何に霞ヶ関官僚が現場から遊離しているのかということを如実に表しているといって良いだろう。できることならこの大学振興課の担当者の名前とそのプロフィールを明らかにして欲しいくらいだ。
 50歳をすぎてから大学に再入学した経験からいわせて貰うと、上記記事中で山形大の先生が仰っているように、多分どこの大学でもきちんとこなせる学生とそうでない学生の間に開きがある。これは事態の認識力に温度差があると言い換えても良いかも知れない。
 だからかも知れないし、昔からの幻想の上にいるからといっても良いのかも知れないが、多くの大学では「まさか大学でこんなことまで教えるなんてとんでもない、ついてこれない奴は自分でついてこれるような努力をすれば良いんだ、そうでないのであればそれはそれで仕方がない」と考えてきたんだろうと思う。それが「大学教育」であって、ここは義務教育じゃないんだから、というプライドのようなものがあったと思う。
 しかし、現実はそうではないようだ。
 私が一年生を過ごした大学は一年生の時には専門的な授業はその初年度には殆ど登録することが許されなかった。その代わりに一年間かけて徹底的に図書館の利用法、文献の検索法、ジャーナルの書き方、そして英語力を高めることに時間を費やした。課題が多く出されると必然的に先行文献を探すようになり、それを咀嚼せざるを得ないから国語力もついてくる。
 ところがその後に三年編入した大学では、どうやら同級生たちは1-2年生の時にこうした訓練を受けずにあがってきているようだった。だから、ゼミに入ってからゼミ論、卒論でかなり苦労をしていたようだ。そう思ってみていると図書館でそうした基本的なナレッジを身につけるための講座を開きはじめた。しかし、そうした知識が必要でどんなことに注意をするべきかという基礎を知りたいという学生は自ずから前向きな姿勢を持っているから参加する訳で、平たくいってしまうと意欲のある学生がより高いナレッジを身につけることであって、それが欠けている学生たちはそうしたレクチャーに対しても興味を持たないからより格差が広がることになる。
 もうその程度のことでは平均化することはできない。一方、それは学生の個人的な姿勢の問題だからそれ以上踏み込むのは「大きなお世話」なんだという反対論が予測できる。多分真剣な大学ではこうした賛否の議論がもたれただろう。しかし、もうそういっていられる状況ではないと考えても良いのではないだろうか。
 大学の生き残りには受験生の数を増やすことは不可欠だろう。しかし、そのために入学試験の壁をどんどん下げるのではなくて、如何に教育・研究機関としての実質的システムを確立していくか、という面で競われるべきだ。
 受験者を増やすために学部学科をどんどん増やしていく傾向にある大学はその中身を見直していかないと、大学さえ出ておけば大丈夫だったような時期ではなくなっていることを考えると、それでは自分で自分を苦しめていくことになる。

追記:「とうとう国公立までこうなったか・・」とお嘆きの方を発見。そんなに国公立ってレベルが高いんだ!と今更驚く。