バカな大臣、ま、この場合は知識もないし、文化度も低いという意味だけれど、が学芸員を認識できない発言をしたらしい。多分彼は学芸員のことも良くわかっていないだろうし、図書司書のことも知らないだろう。あれでも東大経済出身で大蔵官僚だったというのだから、この国の文化度って、かなり情けないことになっている。
自治体の図書館に武雄市だけでなく、TSUTAYAが手を出しているらしいことはじわじわと伝わってくる。なんでも多くの自治体では図書館の運営を民間に業務委託しているのだけれど、それをまるごとTSUTAYAに任せてしまうらしい。それであの会社はどぉ〜ンと廃本を出して、自社から新たに購入させたりしているらしくて、かなり評判が悪いと聞こえてくる。わが地元の図書館も何年も前から民間に委託している。その結果、お休みが少なくなった。それまでは週一に閉館されていた。これが良いことなのか、そうでないのか、議論は分かれる。それまでは区が雇ったアルバイトの人たちによって成り立っていたようだけれど、今度はこうなったことによって使いやすくはなったけれど、多分民間に再雇用された人たちは給与が下がったことだろう。
図書館は中身もさることながら運営サイドの考え方、打ち込みの仕方によって全く価値が変わってくる。
必ず必要なものを見つけられるという点では国立国会図書館しかないけれど、あそこはルールがうるさい!大学の図書館は広く一般に公開されているというにはほど遠い。そうなると公設の図書館がもっと広く文献を抱えていて、使いやすければ良いのだけれど、そうでないのが実態だ。
大学の図書館といっても学校によって大きな開きがある。学生が使いやすいシステムを構築するには学生の立場に立った使用ルールを発想する必要があるけれど、学生の性悪説に成り立っている大学が多いのではないだろうか。残念ながらわが母校の図書館は学生にできるだけ自由にさせないことが図書館の役割だと思っているような運営で、年がら年中愚痴っていた。
全館学生に開かれた書架を備え、開館時間もできるだけ長時間に及ぶ図書館を備えた大学で研究したかった。米国の優秀な大学だったら24時間開館されている図書館があると聞いたことがある。図書館がただ本をそろえて開けているだけではない。優秀な図書司書がいる大学図書館では、彼らにテーマやキーワードを相談すると、どうやって探すか、どの辺がポイントか、それを教えてくれたり、今授業でホットになっている分野の文献を率先して表に出してくれたりする。そもそも新学期が始まったら、まず最初に新入生に対して図書館をどのように利用することができるか、というガイダンスを徹底する。
日本の高校ではどのようにものを書き、どのようにテーマを見つけ、どのような価値観でものを捉えるのかということを教えることは全くないから、大学に入ってきたときに高校の延長線上にしか大学を捉えられない。それは私が初めて大学に入ったときのことを思い出せば良い。全くなにも考えていなかった。日本の大学がラベルを一枚余計に手に入れる、ということでしかない学生が大半だった。
今になってみると、優秀な学芸員がいる博物館、美術館を楽しみたかったし(これは今でもできるか)、優秀な図書司書がいる図書館を抱えた大学で研究したかったと、思う。