ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

小諸城

 というわけで朝6時に目が覚め、昨日買っておいたパンを食べながら浅間山の稜線を見て、今日は良い天気になるんだなぁと思っていたのだけれど、半時間後に眺めるとなんとどんどん霧がわいてきていてあっという間に浅間山は姿を消した。
 そこからまだ早すぎるからともう一度布団に転がっていたら、ものの見事にまた寝てしまって、気がついたらなんと10時ごろ。上田の蕎麦屋に電話すると週末は予約を受けていないという。あそこはとにかくうまい蕎麦屋で一年に一度は食べたいと思うのだけれど、今年はどうなることだろうか。
 とりあえず東御市にある「ふるさと草笛」に行く。中軽井沢にある星ののトンボの湯は安くはないのに車が押し寄せていて通り過ぎるのに一苦労である。1000m道路を通ってサンラインに出て小諸を目指す。北国街道を冷やかしてから東御に行くつもりだったのだけれど、角を曲がり損ねたのでそのまま東御に向かう。
 蕎麦屋の駐車場はほぼ一杯状態だったのだけれど、客席は十分余裕があった。そうはいっても次から次に客が押し寄せていて蕎麦をきるのが間に合ってないのか、あっちもこっちも天麩羅は来ているけれど、蕎麦が来ていない。私が頼んだ海老天麩羅ざる蕎麦の天麩羅にはなんとかまぼこの天麩羅がついてくるのがここの特徴というべきか。思わずニコニコしながらそれだけをまず食べてしまう。
 なにしろ「草笛系」の蕎麦はどこにいっても同じ桶に入ってくる。蕎麦が来て気がついたのだけれど、ちょっと盛りが低くなったような気がするし、値段も心なしかあがったような気がする。やっぱりそういつまでも問屋は卸さないのだろうか。
 ここにはぶっかけの為右衛門蕎麦というのがあって、横綱大関なんてかいてある。先日もテレビに登場して名が知れている。そうはいってもこれまでに三回来ているけれど、一度もお目にかかったことがない。さて帰ろうかとトイレを借りて帰ってくると、なにやら人だかりがしている。その先を見るとカウンターに一人の若者がいて、その為右衛門蕎麦・横綱に挑戦しているのをみんなで写真にしているのだった。旦那の話によると2,700円なんだけれどそれでも赤字なんだそうだ。
 今日一日はそこからが面白かった。
 そこからいつもやってくる小諸の北国街道沿いに遊びに行く。本町町屋館の裏に車を停めてとりあえずその本町町屋館で何かをやっていないかと顔を出す。妙齢のご婦人がいらして、今日は何もないというお話だったのだけれど、私がtwitterをフォローしていますよとお話したら、なんとその方がtwitterもブログも書いておられるということだった。お話をしているうちに、それまで公開されていなかった小諸城の大手門が修復されて二年前に公開されていることを知った。それは迂闊だったとさっそく行ってみる。なるほど立派な門が綺麗になっている。古い石段を上がると門の上に上がることができる。上がってみるとヴォランティアの方が居られてご説明くださる。この方がまた何でも良くご存知の方で、話が盛り上がる。
 小諸は廃藩置県直前には禄高たったの1.5万石に過ぎず、大きな借金を抱えていたそうで(この藩ばかりではなかったらしいが)お城のさまざまなもの、土地等をどんどん切り売りしたんだそうだ。この門もそのひとつで北国街道にいまでも残る造り酒屋の大塚酒造が買い受け、会席料理屋として開業したのだそうだ。その後はその広さを使って様々な用途に使われてきたそうで、島崎藤村もこの場所で教えた時期もあったという。平成に入ってから大塚酒造から市が寄贈を受け、国の補助を受けて漸く修復されたのだそうだ。
 藤村の話から藤村が小諸で住んでいた家が佐久の貞祥寺というお寺に移築されて保存されているというお話をそのヴォランティアの方からお伺いした。
 一旦、東御に戻ってひとっ風呂浴び、こんどは裏道を通って「ちゃたまや」でソフトクリームをダブルで食べ、やおらその貞祥寺にむかう。
 どうやら佐久では良く知られたお寺のようだけれど、到着してみるとそれはそれは森閑としたまさに深山幽谷と言った風情の曹洞宗のお寺だった。まさかこんなところにといったら怒られてしまうだろうけれど、こりゃすごい。一見の価値がある。そこに元は立派な茅葺であったろう一軒の木造家屋が建っていた。
 ここまで来たのも本町町屋館にいったからこそである。やっぱり出かけないと何も起こらないのである。