ほぼ足りてまだ欲 その先

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金竜の舞い

 浅草の浅草寺には白鷺の舞いとか金竜の舞いなんてのがあって、隣の浅草神社のお祭りの時にお練りの中に入っていたりする。今だから白状するとこの二つの踊りはこれまで一度も見たことがなくて、どんなものなのかも知らなかった。
 あさ、ひょいとtwitterのタイムライン(私がフォローしている人たちの書き込み)をズラズラと眺めていたら誰かが「今日の金竜の舞い」なんて書いていたものを見付け、こりゃ良いチャンスだとカメラを抱えて飛びだした。どうやら毎年10月18日ともう一回(いつだったか忘れた)これを奉納する時があるんだそうで、宝蔵門をくぐった左手の五重塔の前で踊るらしい。かなり早く到着してしまい、行ってみると早くも地べたに緑色のテープがまあるく貼ってあって、そこが見物と踊り手の国境線のようだ。
 ま、昔だったらガマの脂売りのおじさんが棒で地べたに線を引いて「さぁさぁ、ここから入っちゃいけないよ。御用とお急ぎでない方は皆さん見ておゆきなさい!」と大きな声で叫ぼうというところだろう。
 すると、そこへちょっとばかり訛ったような言葉で会話をしながらお歳のいったご夫婦がやってきて、「なんかあるんだろうか?」と仰るから振り返って「金竜の舞いってのがあるんですよ、これから」と言いかけると、直ぐ横にいた、見るからに私より十は上と覚しき爺さんが、そりゃあ詳しくご説明に及ぶという奴だ。なにしろ金色の竜の鱗の数が何枚とまでそらんじるんだから凄い。
 反対側を見やると、そこもおおよそ同じくらいの年代の(つまり私より遙かに老人)4-5人が同じような格好をして、ボディだけで平気で20万円を超えるようなデジイチをぶら下げて、やいのやいのとやっている。その向こうには、おばあさんなんだけれど、やっぱりそれに負けず劣らずのデジタル一眼カメラにチョイとした長いレンズをつけている人がいるって奴だ。一体全体どこが不景気ってんだろうと本当にお尋ねしたくなる。持ってる奴は持ってるなぁ。しかし、彼等は使って金がまわるのに一役買っているということができるわけだ。こちとら見たいに、こんなのが欲しい、欲しいといい続けているだけってのはなんの貢献もしていないんだから、いうべき言葉はないんだ。
 ふと気がつくと、右側から圧迫感を感じる。か細いおばあさんがしきりに私を押しのけようと身体を忍び込ませてくる。手には今時珍しい「写ルンです」を持っている。一瞬ムッとしたんだけれど、私の方がまだチャンスはありそうだから、身体を斜めにする。それでも押してくる。オイオイ、その気になってりゃいい気になりやがって、と啖呵を切りそうになる。
 そうこうするうちに地元のエリートの浅草寺幼稚園の子どもを先頭に金竜がやってくる。浅草寺の説明に依れば「『浅草寺縁起』に、観音示現の時「寺辺に天空から金龍が舞い降り、一夜にして千株の松林ができた(現世利益ともなる五穀豊穣の象徴)」とあることから創作されたものです」と書いてあって、この辺が千株の松林だったなんて聞くと「うっそだぁ〜」とひっくり返りそうである。
 浅草寺のご本尊は川の中から三人の漁師が拾い上げたんで、小さいながら金なんだそうだ(見たことがないから私は知らない)。それで台東区には金竜小学校ってのもあるし、街中には「金龍」という喫茶店だってある(入ったことはないけれど)。
 どうも思い浮かぶのは中華街の龍の踊りである。あれとどこが違うのかというと、音曲が芸者衆の三味線、笛って奴だ。何枚か写真を撮って、人山から離脱したけれど、考えて見れば、あんな途中で急に出ていったらスリかなんかと間違えられそうだ。
 本屋まで行ってきたら思わず二冊を入手。

「戦後」を点検する (講談社現代新書)

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アメリカ大統領が死んだ日――一九四五年春、ローズベルト (岩波現代文庫)

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