ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

永田町

 先週に引き続き今日も永田町に出掛けた。先週は夜だったけれど、今日は昼。行きがけにデパートによって弁当を買ったけれど、国立劇場演芸場に到着するとあっという間に前座が上がってくる時間になっちゃったんで、弁当は中入りまでお預けにして、小さな菓子パンを咥える。
 今日は一人だったから前から2列目のど真ん中の切符を買ったんだけれど、客が並んでいるのは多分この2列だけのようだ。後ろをあんまり振り返ることができかねるけれど、後ろからの拍手の量からいって半分に届かないくらいの入りじゃないだろうか。
 先週も書いたけれど、この出演者は派手さに欠けるからなぁ。
 前座は春風亭朝呂久(ちょうろく)って前座になって3年目の一朝の弟子。もっともっと人前で話すことに慣れたら良い。「堀之内」ぽんぽんすっ飛ばさなきゃならないから大変だ。
 さて、どうなったのかと興味津々の桂三木男だ。「天ぷら屋の竹」の「新聞記事」だったんだけれど、随分喋り慣れた様子だ。なにしろ彼が前座の成り立ての頃に見たのが最初だったからずいぶんな変わり様だ。顔つきまで変わったような気がする。先はぼぉ〜っとしていた。お母さんが少しでも早く三木助を継げるような大看板に鍛え様としているという噂は聞く。二週連続で永田町にやってきて良かった。
 三遊亭丈二は枕は先週と同じだ。小田原丈という二つ目までの高座名でくすぐるって奴だ。「引っ越しの夢」だったんだけれど、番頭さんと二番番頭が担いでいる吊り戸棚が途中で右と左が逆さまになってしまって、気になった。先週の方ができが良かったな。
 この人の話が始まる直前にそれまで空いていた左側の席に65-6歳と覚しきお爺さんがやってきて座った。座ったと思った途端にこの人、くてっと寝た。寝たと思ったら思いっきりこっちに傾いてくる。亜れッ!と思って周りを見回すと、あっちでもこっちでもおじいさん、おばあさんがこっくりこっくりしている。どうも椅子に座ってやれやれと落ち着いて、周りが暗くなるというと、昼飯を喰ったばかりの爺さん、婆さんは寝ちゃうてぇ寸法だ。きっといつだって、このくらい浅い出だったらこんな仕打ちを高座は受けているに相違ない。多分三遊亭丈二は毎日こんな中で頑張っているのかもしれない。
 この左隣のお爺さんは、こっから先懐から箱に入った酒をストローで、チュウチュウ呑み始める。鼠か、お前は。
 笑組はいつもの調子でそんなに大受けはしないけれど、安定したでき。そういえば同じネタを聴いたことがない。といってもこれで4回目くらいか。
 初音屋左橋は思った通りにやっぱり芝居噺でこれは期待通りだった。先週は四段目だったなぁと思っていたら、今度は七段目と来た。上手いねぇ、この人の芝居噺は。この人は女形も良い声だし、正雀さんと「鹿芝居」に出たらいいかもしれないが、正雀さんは化粧をしてもやれるからねぇ。
 先週は代演の小ゑんだったが今日は中入り前は予定通りの柳家〆治。「青菜」。小三治門下のそろそろ還暦。それにしちゃ短く刈り込んだ髪は結構密に見えるなぁ。羨ましい。
 中入りに折角買ってきた辨松の並六号をやっつけんとて、蓋を開ける。全くいつ買ったって同じ中身だってところは崎陽軒シウマイ弁当に引けをとらないという話は前にも書いたに相違ないけれど、こういう弁当も珍しい。一人でこうして出掛けてきて弁当を拡げると侘びしいもので、写真を撮る気にもならないから、ここにその弁当の写真はない。しかしながら、時間が足りなくて、弁当は半分だけにして、残りは夕飯の足しに家に持って帰るというところがいじましい。
 中入り後の「ダルマ食堂」はなんといつものあの衣装ではなくて、着物の素顔で出てきた。私はてっきりいつもあの格好だと思っていたから、こりゃ一体誰が出てきたのかと思った。彼女たちの面白さというのは見慣れていないおじいさんおばあさんにはなかなか難しかろう。どっと来ない、いまいち彼女たちが乗れないのは、これは客層だから仕方がない。私だとむしろあっち側にまわりたくなってしまう。
 橘家圓太郎は今日は「締め込み」で結婚三年目の若夫婦のところに入った泥棒が喧嘩を諫めるという噺だけれど、これは圓太郎の真骨頂が上手く出ている噺でふりも良いし、テンポも良いし、いうことがない。先週の印象とこんなに違う結果となるとは思いもよらなかった。
 ぺぺ桜井先生はこんな前で聴いていたってなかなか聴きにくいくらいだから、後ろにいたら途中からいやんなっちゃうだろう事は容易に想像がつく。中身の8割は先週と寸分違わぬ。こうなるとそれで良いってことになるんだろうか。笑えやしねぇよ。
 さて、トリの金原亭馬生は今日は「死神」で、どんなことになるのか心ワクワクである。先週は二つ目の馬吉が懐から馬生の新著を取り出して見せたけれど、今日は自身が懐から取り出して見せて宣伝。高座がはねると直ぐさまロビーに現れ、サインをしながら販売にこれ努めるという次第。
 さすがの馬生で、この死に神は良かった。「死神」といったら誰だって圓生に留めを刺すといっちゃうから皆さんやりにくいっちゃありゃしないし、殆ど諦めて、精進にこれ勤めるという次第だけれど、馬生の死神は一旦点いた蝋燭を、死神を追い払うように吹き飛ばし、自分の蝋燭まで消してしまうという落ちだ。
 今日の呪文は「阿闍羅か泣かせの円高よ、てけれっつのぱぁ〜」だった。それもぱぁ〜は普通のぱぁ〜じゃなくって、あれは明らかに「pur」の発音だったな。
 帰りは日頃の国立からの帰りのように、まだそれほど暗くなっちゃいないわけだから、曇り空の中を歩いて銀座まで出た。お堀沿いは「アベリア」というジャスミンのような小さな花が満開で、下がってくると、驚くことにサツキのような花が咲いている。今年は花が変な具合で、わが家のベランダもテッセンや薔薇がまた咲いたりして、おかしいねぇといっていたのだけれど、こんなことにまでなっているのはちょっとおかしいじゃないか。ひょっとしたら今年の冬はとんでもない暖冬になっちまうのか、あるいはなにか天変地異があるんじゃないだろうか、なんていうことをいいたくなる。
 先からシャツ一枚の上に羽織るようなものを捜しているんだけれど、適当なものがどこに行っても見つからない。ひょっとしたらデパートなんかに行くとあるのかもしれないけれど、それじゃ、多分値段が高いに違いない。それでも見るだけ、見に行ってみようか。