ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

学校の掃除

 今の私はもう殆ど掃除ってことをしない。自分の部屋は掃除のしようがない。本だらけなんだから。たまに季節の変わり目に拭いたりするんだけれど、そりゃもうびっくりだ。
 物心ついた頃から私は掃除ばかりしてきたような気がする。いやいや、私の家での生活を見たら誰もそんなことを想像することはないだろうけれど、小学生の頃から学校の掃除当番をサボったことなんて、ただの一度もない。
 ホームルームが終わったら机をがぁ〜っと後ろに全部下げて、前半分を掃き、雑巾がけをして、今度は机を全部前に出し、後ろ半分を掃いて雑巾がけをして、今度は机を元の位置に戻す。掃除当番は確か列ごとに受け持ち場所が交替だったと思うけれど、私はその度に、一切の手抜きをせずにマメにやった。
 小学校の5年の時に、大掃除で教室のガラス拭きに生き甲斐を見いだしてしまって、「はぁ〜っ!」と息を吹きかけてはから拭きしたことを思い出す。きりがないじゃないかと思いながらそういうことに熱中していた。そういう点ではちょっと前後の見境がつかないという、やらなきゃいけないことの重要度によって優先順位を慮るという能力が欠落していたことは確かで、それは今に至るまで後を引いている。現役で仕事をしている時でも其処は駄目だったと今になって思う。
 小学校の6年生の時には1年生の教室に派遣掃除をすることになっていた。自分たちの授業が終わって、1年生の教室に行ったら、まだ先生が話をしていた。掃除当番として顔見知りになっていたから入っていって、話をしている先生の横に立ってふざけた格好をして1年生の笑いを取っていたら、そのおばさん先生が突然私にビンタをくれて、私は一気に面子を失って、シュンとなってしまった。そのおばさん先生の顔を思い出せるような思い出せないような、私の頭の中では顔だけにフォーカスの合っていない場面が思い浮かぶ。あの頃はそれ位のことを先生がやっても問題にならなかったのが、今となると不思議だ。
 私はとにかく小学校から高校を卒業するまで教室を掃除し続けてきた。それは廊下もトイレも美術室も、理科室も、全部掃除した。だから、学校が自分の城だったという思い出につながっているのかもしれない。ひけもしないのに音楽室に入れて貰って木琴を叩かして貰ったり、ピアノを弾かして貰ったりしたことを思い出すと、子どもの頃の私は随分度胸があったし、自分で扉を開くことができていたんだなぁと不思議な気がする。それは学校というスペースが自分にとっていやな場所じゃなかったということだから、学校そのものが嫌になってしまう今の青少年の気持ちがわかるわけがないのだろうなぁ。