ほぼ足りてまだ欲 その先

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寄席は勉強になるン

 昨日の寄席でトリの正雀さんに随分勉強をさせて戴いた。
 ひとつは高座での挨拶。もうひとつは鹿芝居の話。
 噺家は高座に出てきていきなり座布団の上に座って、客席に向かってお辞儀をする。後頭部が見えるくらいに腰を上げてお辞儀をする。もうそんなことはズルズルゆるゆるの時代にあっては不思議なくらいに丁寧なお辞儀をする。ところが普通の生活だったら(もう今はそんな機会もなくなっちまったけれど)、座敷に入る前にお辞儀をしてにじり入って、キチンとご挨拶をしたら向こうの人が、「ささ、どうぞおあてになって、どうぞ、どうぞ」というお奨めを戴いて上に座るというのに、噺家はいきなり座布団に勝手に座っちまって変でございましょう?と正雀さんがいうんだね。そりゃ、確かにそうだ。正雀さんの説ではかつては出てきて板の上でご挨拶をしてから座布団に座ったんじゃないかというのだ。その代わりにトリははねた時に座布団をすっと外して板の上で「ありがとうございます、ありがとうございます」と挨拶を繰り返す、というのだ。
 正雀の師匠の先代正蔵はその座布団を外さなかったので、正蔵の弟子は誰も座布団を外さないそうだけれど、それは多分先代の正蔵が足が痛くて、外すのが億劫だったからなんじゃないだろうか。だから、正雀さんも外しても良いんだよ。
 毎年2月の国立演芸場は鹿芝居で馬生、馬楽、菊春、世之介、正雀、馬吉、馬治なんてところが常連。ところが今年は国立演芸場が改装でお休み。総檜の高座の完成を祝って正雀がひと踊り。ご立派。
 で、正雀の話だ。昭和36年の鹿芝居はテレビでの中継があったんだそうだ。そういえば子ども心に、当時の文士劇なんてものもテレビで中継があったりした記憶がある。本当に娯楽がなかったんだねぇといってしまうことは簡単だけれど、こうした「余興」というものが通用した時代だったんだということでもある。文士劇はプロンプターだらけでなんとも聴きにくかった記憶がある。そういえば昔のテレビの劇場中継なんてのは本当にプロンプターの声が聞こえちゃったりしていたものだ。今時プロンプターってのは大統領の文字プロンプターくらいしか聴かないなぁ。
 で、その昭和36年の鹿芝居に、圓生が小さんと出ていたんだそうだ。その鹿芝居のテレビを観ていたのが東宝の重鎮、菊田一夫圓生を見て、菊田一夫がこれは芝居に使えると電話した。それがきっかけで圓生が芸術座に出演するようになったのだという。噺家でこうした芝居に出たのは圓生をはじめ、志ん朝、その後志ん五なんてのまで出演したことがある。
 で、最初の芝居の本稽古の時に、相手役が圓生の胸ぐらを掴む。舞台俳優は本番さながらに稽古に打ち込む。真剣な稽古。ところが噺家はそんな稽古はいい加減に動きを取るだけだ。だから圓生、その相手役につい「よしねぇ、稽古だよ、稽古!」といったんだそうだ。目に浮かぶようだ。