ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

地元自治体

 これまで公共事業に関わる施設を建設する時には、設置される自治体だけの賛否で実行されてきた。空港だって、ダムだって、原発だって、みんなそうだった。だから、反対運動が起きて、それでも実力行使される時には、実行する側は「地元の人間でもないのに、ここからでていけ」と非難してきた。
 そしてそれを受け入れるのは公共施設の建設では当たり前じゃないか、一部の地元民のエゴで公共の施設の設置を妨害するのか、という論理でごり押しされてきた。ずっとそうだった。だから、一部にはそういう状況になったら諦めるしかないという厭世観が流れ、エスタブリッシュメントの強引な力の前に涙をのんできた。
 今、玄海町玄海原発再開に際して、設置地元自治体だけの合意で本当に良いのかという意識が台頭してきている。福島第一原発の事件を見て、やっぱりそう簡単なことではないのだということが判明したからだ。一難やってきた時には周辺数十kmどころかもっと広い範囲で、多くの市民を巻き添えにすることが証明された。しかし、今更だけれど、こんなことはスリー・マイルでもチェルノブイリでももう既にその恐ろしさは十二分に露呈していた。
 それなのに、経済産業省は今まさにごり押しを続けようとしている。目覚めかかった市民をどんどん無視して眼をつぶったままごり押ししていこうとしている。これまでそれで通用していたんだから、まだ通用しないわけがないと思っている。見て見ない振りをしている。
 これは公僕としては職務怠慢そのものでしかない。今更、この国は腐りきっていたのかとあげつらわなくてはならないのが、辛い。
 河野太郎が地元の国会議員に直接文句をいいにいかなくては駄目だといっている。
 霞ヶ関に対してはどうしたら良いのだろうか。