ほぼ足りてまだ欲 その先

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人気投票

 間接民主主義の代議員選挙という奴は所詮は人気投票に過ぎないんだという説はもう至極一般的なことなのかも知れないけれど、私にしてみると、この選挙というもの以外に政治に参画する公式な手段が存在していないのは事実。で、これが人気投票化しているものだから本来的に役に立ってくれるであろう人に自治体なり、国家の運営をお願いするという観点が全く薄れてしまっていて、「やらせてやる」投票になっている。前回の東京都知事選挙の立候補者の中に「私は選挙運動というものはやらない、なぜならやらせてくれといっているわけではないからだ」というようなニュアンスのことをいっている人がいた。彼がもしそのやろうとしている方向性が私が理想とする方向性に合致していれば、お願いしたい位だったけれど、残念ながらその方向性は食い違っていた。しかし、選挙制度に関する認識では合致していた。
 「人気投票」なんだから、魂を揺さぶってしまえばいいわけだ。小泉のように「自民をぶっ壊す」と断言する総裁を見たことがなかったからブルブルッと思わず書いてしまった人もたくさん居たことなんだろう。
 しかし、不思議なのは元不良小説作家の某都知事である。いっていることは乱暴な言葉使いで、「リテラシー、クソ喰らえ」とでもいわんばかりのむちゃくちゃだ。あれが一橋大学を出て、いっぱしの小説といわれるものを書いていた爺さんの言動とは思えない。ところが若者の中にはあれが「乱暴だけれど、いっていることは正しい」と受ける連中がいることは確かだ。アドルフ・ヒットラーに向かって踵をカツンと響かせ、眼を輝かせて右手をすっと前に出しているヒットラーユーゲントを思い出す。「英米撃滅!」と制帽の顎紐をきりりと締め、あるいは必勝の鉢巻きを締めて勤労動員のヤスリがけに汗を流す皇国少年を思い出す。
 だから、金の流れる方向へそうした人びとを誘導する力を簡単に造ることができてしまう。わたしたちは気がついていてもいなくても、巻き込まれている。
 過酷ないい方だろうけれど、福島第一原発の周囲にはもう戻って元の生活を回復するのは不可能だろう。しかし、下垂が席の誰も、永田町の誰も、マスコミの誰もこれを宣言していない。まして東電だって。なぜか。叩かれるのがわかりきっているからだ。しかし、この宣言を遅らせれば遅らせるほどダメージは大きくなる。