ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日記

 実家の母屋が立てられてから50数年で解体することになった。オヤジが建てたものだけれど、戦後すぐの建物だからもう今やガタガタだ。多分2-3度揺さぶったら倒れてしまうのではないだろうか、というくらいである。
 自分のものは殆ど家を出る時に持って出てきたからそれほどではないが、なにしろ7年前に死んだわが母親は何でもかんでも自分が興味を持っていたものは抱え込むタイプだったからいろいろある。何も手をつけていない反物なんてものまで出てきちゃうのには驚く。煎茶や花に凝ってみたりしていろいろやっていた様だし、芝居も好きで、本も好きで、焼き物が好きと来るから、写真集だ、なんだとごっちゃりある。
 かたや18年前に死んだ父親はどうだったかといったら、彼の書棚を改めてみると、膨大な量のアルバムが出てきた。それはリタイアしてから昔の写真を年代別に全部整理したのがあって、それはそれは懐かしくて、良かったのだけれど、自分が田舎の旧友と出かけた旅のアルバムやらが、何十冊と出てきた。今だったら私の様に、デジタルで全部ストレージしてしまえば良いんだから、大したことにはならないけれど、これはなんとも重たいのが悩みだ。
 次に驚いたのが現役時代から書いていたらしい日記である。彼の会社では当時、毎年毎年スケジュール帳とでもいう様なノートを造っていた。それを日記帳代わりにし、リタイア後は当用日記の様な市販の分厚いものに、ビチ〜ッと、それも小さな文字で綿々と綴っているのである。いや、これは膨大な量である。
 これだけ聴くと、いやこれは面白いものを発見したぞ、という気になるのだけれど、実は彼の文字は小さい上に全部手が繋がっていて、実に判別に困難を来すというものなのである。
 私は結婚の許しを請う手紙を当時の赴任先から父親に書いたものだけれど、その返事が来た時には驚いた。便せん3枚にやっぱり小さい字でびっしりと書かれていて、私は一度読んだだけでは、父親が賛成しているのか、反対しているのか、にわかには判断できなかったのである。

 こちらに他の写真も。