ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日大三高

 あの学校は昔赤坂にあって、今の住所でいったら、東京都港区赤坂6-5-30。今は鹿島KIビルというのが建っているところにあった。私が生まれた頃から近所で、まるで兄弟の様にして育った幼なじみが通っていた頃は、男子校で、しかも生徒は全員丸坊主だった。当時の質実剛健を売り物にした男子校の殆どは丸坊主だった。私は都立の旧高等女学校に通っていたから、こっちは女生徒の方が男生徒の1.5倍いた。私は一度も男子だけのクラスにも学校にもいたことがないからそれがどんなことを意味するのか、どんな日常なのか全く想像がつかない。
 高校を卒業してから彼を私の高校の友だちのところに何度も連れて行った。二人とも浪人してから、彼が進学した大学には私の高校から進学した連中が何人もいて、幼なじみなのに私の高校の同級生とも顔見知りという不思議なことになった。それぞれ別の大学に通出した頃は結構付き合いがあったのに、気がついたら随分離れていた。それが私が社会人になって東京の職場に戻ってきた時に、彼の職場と私の職場は背中合わせになっていたのは不思議な縁だったといって良い。
 当時の彼はなにかに憑かれた様に酒を呑んでは遊んでいた。なにかに追いかけられているのを忘れ様としているかの如くだった。その彼がある時新しくできた外資系の会社に転職した。何があったのか知らないけれど、かなり唐突な印象だった。それでも話題になった会社だったからそんな選択も有りだなと思った。そんな中、その会社のすぐ隣のビルを取材に行ったことがあって、そのついでに彼を呼び出して昼飯を喰った。しかし、何となく浮かない雰囲気で、多くの言葉も交わさなかったし、なんだか心ここにあらずの雰囲気だった。
 すっかり音信がなくなっていたのだけれど、私の父親が死んで、その葬儀を終えて家に帰ってきたところで、彼から電話があった。すぐ傍の友人の呑み屋で飲んでいるから、来ないかという。私の実家には田舎の親戚も来ていたから放りだして合流するわけにも行かず、申し訳ないと断った。
 彼と言葉を交わしたのはあれが最後だった。私が外国に行っている間に、姉から彼が急死したと伝えられた。唐突だった。誰も死因を私に教えてくれなかった。なんだかみんなが触れようとしなかった。今でも確かなことを知らない。
 あの学校の野球部の胸のエンブレムを見る度に、彼が被っていた学帽の徽章を思い出す。