ほぼ足りてまだ欲 その先

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高校

 私の出身高校は元はといえば高等女学校で、戦後になって新制の男女共学高等学校になった。新制高校になって東京の公立高校はすべて共学になった。男子校で残っていたのは私立の学校ばっかりだったけれど、それは今や全部男女共学だろう。私立の女学校だけは今でも残っている。
 そんな成り立ちだから、私が入学した年、1963年になっても女子は一学年に300名いたけれど、男子は200名しきゃいなかった。ベビーブームの真っ盛りだからAからNまでの14クラスがあったけれど、中学が16クラスあったから多いと思わなかった。
 いつもいうことだけれど、フォークダンスをやると女子の何人かは男子側のダンスをしなくちゃならなかった。あれは女子としてはどんな気分がしたものなのだろうかと一度聞いてみたかったけれど、聞いたことはない。
 中学の数学の教師で何かに取り憑かれたかのごとく、怒ると留まるところを知らないかの如くにエスカレートする男の教師がその高校の共学一期生だった。だから、高校が決まった時には至極うんざりしたものだった。あいつの後輩になるのかと。
 15-6年前に卒業クラスのクラス会を思い立ち、連絡のついている友人と手分けをしてクラス会を開いたことがある。そのとき作った名簿を友人に渡してあとをお願いしたら、思いもよらない男から封書が来て、クラス会を開くと聞いたのはそれからもう10年ぐらい経ってからである。
 ところがその封書が奇妙奇天烈で、茶封筒にところ構わず俳句がしたためてある。しかもそこにあたかも訂正印(そういえば現役引退してからお目にかからんが)のような小さな印が押してある。封を開けたら米国の超有名な大学から博士号を取ったと綿々と書いてあり、自分は今では国内の某大学で学長を務めていると書いてあるのだけれど、その大学名がありそうな名前だ。
 名簿を託した友人に連絡を取ってみると、実は彼もその男からの連絡に辟易しているというのだ。どうやら誇大妄想のようで、なぜか知らないけれど、クラス会をやるんだといっているらしいと。
 そこからどんどん俳句だらけの封筒が送られて来るようになってきた。なんだか気味が悪くなってきて、こちらからは反応をしなくなっていたのだけれど、私が不在の時に、とうとう電話がかかってきたそうだ。それでも連絡を取らずにいたら、そのクラス会の当日になった。私はもういっこうに連絡せずにいたのにもかかわらず、彼は私がその場所に出向くと思っていたらしく、「残念だった」と電話があったそうだ。
 その高校の全体の同窓会があるそうで、連絡が来た。そろそろ卒業してから半世紀になる。なんだか逡巡するのだけれど、これが最初で最後かもしれないから出てみようかという気になってきた。