ほぼ足りてまだ欲 その先

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高校3年 1965年秋 島村楽器のお題「ライブの思い出」

 そろそろあれから46年になるのか。あれからまったく成長していない気がする。私の学校が、というより、時代がそうだったのだけれど、とにかくエレキ・ギターは不良の要因だということになっていた。あれを握るやいなや、既成の価値観で評価されるべき路線を外れても良いやっ!という感性に陥ってしまうということになっていた。
 私は東京オリンピックが開かれた1964年の秋までは確かに受験に賭ける高校生をやっていた。英語塾に全精力を尽くしていた。やっぱりビートルズが現れてから私の人生は簡単に変わっちまった。衝撃的だった。「やれそうじゃん、俺にも」組の一人になった。
 生まれて初めて人前で唄ったのが1965年の秋、高校三年の文化祭だった。学校側には何も通告しないまま、放送部だった私とM君が勝手知ったる講堂の放送機器を使い、アンプを持ちこみ、スネアとハイハットしかないドラムのK君も必死で、スパイダーズの「フリフリ」やビートルズがカヴァーしていた「Money」なんて渋いところを唄ったのが、その「初ライブ」だった。クラスメイト達にはこの計画を話していたものだから、口コミでその時間に三々五々、何もプログラムのない講堂に何人もがばらばらと集まってきて盛り上がった。多分そのできはとんでもないものだったのだろうことは確信がある。
 私達のバンドは「The Prodigal Sons」という名前で、聖書に出てくるあの放蕩息子のことだ。彼は最後に父親に受け入れられるんだけれど、そんな名前のせいか、私達には何も懲罰が下されることがなかったのはなんでだったのだろうか。多分かえって問題が拡がることを学校側が懸念したのかも知れない。
 あれから、ライブで喋る度にあの時に歯茎が乾いたことを思い出すのだ。