オリンパス巨額損失ぶっ飛ばし事件についてこういうことを書いている人を、たまたまネット上で見付けた。
損失を隠蔽しようとした経営者は、有価証券報告書に虚偽の記載をしたということで訴追されることになるでしょうが、そのことをただちに経営者個人の倫理観や公正性が直接的に結びつけてしまうことには、わたしは大いに違和感を覚えます。
もし、経営者たちが私腹を肥やすためにこれらの行為を行なったのであれば話は別ですが、多くの企業不祥事の場合、経営者はむしろ会社という共同体の倫理に従ったがゆえに、社会の倫理を踏み外す結果になったと考えるべきだろうと思うのです。
それではこの方が仰る「会社という共同体の倫理」とはなんぞや、という話になる。こういうことを主張する人がどうも大学で教鞭を執っておられる様なのだ。「社会の倫理」を踏み出すその動機がその経営に携わる人の個人的倫理観とは異なるのだというのだとしたら、それはもう何でもありだということになってしまうのである。ひょっとするとこの人は原発の事件は「会社という共同体」の論理としてそれ以上の検討をする必要はないということだったから起きたのであって、高額退職金を貰って辞めていった前社長の倫理観とは異なるのだと主張しそうである。