ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

誰が悪いのか

 この国の老齢年金はついこの前までうまくいっているように思えていた。会社勤めをしていた人はその間に厚生年金というものを会社と折半で積んでいた。自営の人は国民年金だけしか社会保険としての年金積み立てはないけれど、自分で積み上げる基金が出来ていた。しかし、国民年金としては非常に少ない額しか設定されていない。ここに問題があった。働き方で年金のシステムがこんなに複雑になっていたのではコントロールがしにくくなるわけだし、特に公務員には特別にまた他の保険制度が存在していたし、人によって、その働いている形態によってピンからキリまでの違いがこんなに混在していたのではその制度に巣くう連中がいくらでもいて、年金そのものがどんどん目減りする。
 なんで自営業はこんな具合に放り出されていたのか。自営業は美味しいところがあるからそれで良いだろう、という見られ方がしていたのではなかったのだろうか。いや、逆にだから自営業の人は自分でどうにかやりくりして、ドガジャガやって良いですよ、といっているということだったのではなかったのか。
 明らかにこんなに様々な形態がある必要はない。じゃ、なんでこんな状態になっていたのかといったら、一旦手にした権益、利益はそう簡単に人は手を離さないんだってことだ。そりゃそうだろう。先の見通しを立てた時に、あぁ、こういう事ができるんだなと読んだわけだからそれがもろくも目の前で崩れるのを目の当たりにして黙っている奴なんていない。
 国会議員そのものがもう既に一般の国民とは十分すぎるくらいに違う年金の制度にいるのだからそれをいじるわけがない。「この年金制度は百年は持つ!」といった男を引きずり出してこなくてはならないのに、マスコミも、政治家も、霞ヶ関も誰も奴を引き出しては来ない。
 全国民一律で全く同じ条件のものとしなくてはならない。そのためには積み立て方式の税方式に切り替えなくてはならない。そのためにガッポリ徴収するのは資産を抱えている連中からであり、高所得を得ている人間からしっかりとるということをするということだ。そのためには国民総背番号制にして、なにもかもをすべて表に出来る、いや表にしないと罪になるという制度にしなくてはならない。そうしないと社会で行動が出来ないという制度にしなくてはならない。
 「わかりました、もう全部です!」と泣き叫ぶくらいにすべてをさらけ出させなくてはならない。そうでなくてはこうした制度は必ず破綻する。
 「私たちは今の年金制度では絶対に元が取れないから、保険料を払わない」というのではこの国の年金制度は立ちゆかない・・・というよりも年金制度そのものは原資がなくなっちゃうので成り立たない。
 私たちの年金を私たちはこう改革していく、という動きをしなくては意味がない。ただただ、絶望するしかなくなっちゃうのだ。
 その意味で、自民、公明、民主に投票してもなにも変わらない。何しろ彼らは特権を手放したくないのだ。
 投票へ行かないなんてのはもう愚の骨頂だ。それは意思の表し方としては、「どんな扱いをされても文句はいいません」ということに過ぎないのだから。