厚労省は70〜74歳の高齢者の医療費窓口負担を据え置かれている一割負担から二割負担にすることを決めた。社会保障審議会医療保険部会が答申した。
参院選挙前に決めると選挙結果に大いに影響を及ぼすからそれを避けているという声があるけれど、田村厚労大臣は「そんなことはない、前から言っている」と答えたらしい。
日本の医療保険は素晴らしいシステムで、これを実現できずに何年も保険会社の為に国民が振り回されている米国を見ると、この点では遙かに凌駕している。
しかしながら残念なのは年々歳々高齢者の医療費窓口負担を批判のやり玉に挙げてきた。人間は歳をとれば当然のようにあちこちにガタが来てそれまで何不自由なく暮らしていたことが立ちゆかなくなり、それをあっちを継ぎ足し、こっちに投薬して何となく誤魔化しながら過ごしていくことになる。
一昨日病院の待合室で隣に座っていた75歳過ぎくらいのお婆さんが語っているのを聞いていたら、「私は自分の身体が思うように動かないのがどうしても我慢がならないのよ。どうにかならないかと悔しくてねぇ」と巧く廻らない口で言う。
うちの集合住宅に、独り暮らしのやっぱり75歳くらいのお爺さんがいて、歩行器に捕まっては出かけていく。彼には押して開く扉が一番の難敵。先日彼が出るところに遭遇したので扉を開けて待って上げていると「なかなか足が思うように動かなくてねぇ」と仰るので「そら、しょうがないでしょ、永年使ってきたんだから」といったら、ひょいと顔を上げて「そうかぁ、しょうがないのかぁ」と仰る。
彼らだって好きこのんで歳をとってきたわけじゃない。頑張ってきた(頑張らなくたって良いんだけれど)結果、こういう事になった。これは自然の摂理だ。
彼らに医療費がかかるのは当然だ。医療というのはそういうものだからだ。その負担を楽にして上げるのは正しいだろう。
民間の医療保険が日本でも拡がりつつある。その主体は米国の保険会社系の企業である。テレビでしょっちゅう宣伝をしている。持病があっても入れる、80歳まで保証!といっている。よく見なくちゃいけないのだけれど、保険料が高い。そうじゃなくては民間の保険会社がやっていけるわけがない。
しかし、厚労省の国民健康保険を成り立たせる為に負担を増やすという方針をとり続けていくと、こうした民間保険でどうにか補完しようということになる。そうしたことが可能な富裕層はそれで良いだろう。しかし、経済的に実際ににっちもさっちもいかなくなった人たちはそこで諦めるしかなくなる可能性がある。国民皆保険というのはそこを「保険」で負担できるべきであろう。本当は応能負担で窓口負担を解消するべきなのだ。実はそこを極めていくと国民総背番号制が「正しく」運用されることが必要となってくる。
TPPが適用されるとわが国が誇る国民健康保険が崩壊させられてしまうのではないか、という懸念については誰も根拠のある反論を提示していない。
殆どの反論は「そんなことがあるわけがない、あったら脱退すればいい」という全く根拠のないものばかりだ。
私は若い頃医療費は殆ど風邪と歯医者くらいでしかなかった。それが50歳を過ぎてからあちこちその必要が出てきて、胆嚢結石で高度医療費まで使わして貰った。国民皆保険だけではなくて、当時所属していた大学での保険組合のおかげでもあった。その点では学生諸兄にお世話になったことになる。