ほぼ足りてまだ欲 その先

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アメリカの医療制度改革

 ニュースによるとアメリカのオバマ大統領が提唱している医療制度改革に対する世論調査は、改革に対する反対派が賛成派を上回っているという。だんだん医療保険制度の不備が議論の的になっているわが国から見ていると、前回当時のヒラリー上院議員が提唱した時にも圧倒的に否定してしまった米国議会を考えるとなぜ国民皆保険がないのか、なぜ創設することに反対するのか、まったく理解ができない。何しろ無保険者が4700万人も存在するというのである。
 では米国の医療保険制度はどうなっているのかというと、民間保険会社の医療保険で成り立っているといってよい。高額所得者は高価な保険料を払って民間医療保険会社が付保する保険金で医療費を処理する。米国にはそれ以外にまったく医療保障が存在しないのかというともちろんそうではなくて、medicaid、あるいはmedi-careというものが存在する。
 しかし、これは低所得者に対する、あるいは高齢者に対する社会保障であって中間所得層にとっては米国の医療制度は冷たい。ちょっとやそっとの民間医療保険では何もかも保障してくれるわけではなくて、医療処置を受けるにあたって保険会社の了解を取れないと自腹を切るしかなくなってしまう。こんな話を聞いているとなんで共和党を中心とする層が医療保障制度の創設に反対するのかまったく理解を超えている。
 金持ち層が自分たちは困らないし、自分たちがせっかく大枚払って確保した保障を付保する民間医療保険会社の既得権の保全のために反対するのはわかるような気がしないではない。もうすでに自分たちは払うべきものは払っている上に、国民健康保険の保険料をこれからまた負担するのだとしたらとんでもない!と主張するだろう。しかし、ボランタリズムの先進国たる米国にあってこれほど単純に反対するというメンタリティーが理解しにくい。
 しかしながらそんな既得権確保を主張する層が全国民の中にいったいどれほど存在するというのだろうか。多くの比率を占めるであろう中間層にとっては不完全な民間医療保険の存在よりも全国民が加入する国民医療保険のほうがはるかに優れているということで大きな声にならないのだろか。
 高齢に伴って病気になり、その医療費の払いが賄い切れなくなってそれまで暮らしていた生活環境と生活レベルを失って一気に暮らしが立ち行かなくなるというケースは何度かテレビや報道で見たことがある。
 米国はよく言われるように広く、移民にまでチャンスが与えられる国だといわれているけれど、落ちていく人たちに対しては低負担、低福祉で、そのままの放置状況である。落ちていく人はとことん落ちていく。与えられたチャンスを生かすことができなかったのは本人が努力しなかった結果だからしょうがないのだろうか。
 こうした論理はネット社会では日本でも匿名のまま平気でぶつけられる意見だったりするけれど、あまりにも短絡している。そうした人たちが自分が得ることができた結果というものがたった一人の努力で成し遂げられたと思っているとしたらそれは大きな間違いで、多くの人が共存しているこの社会にあって漸く得られたものであることを忘れてしまっているというべきだろう。
 大統領の就任式に牧師が臨席して祈りをささげるアメリカという国がここまで利己的な政策を選択するそのメンタリティーが私にはとても理解ができない。同じく仏教を基本的宗教としている日本という国もその点ではまだ完全とはいえていないと思う。いや、日本はあるいは神の道を究めることを宗教的基盤としていて、神のために滅私奉公としてすべてをささげる国家でないといけないのだろうか。