ほぼ足りてまだ欲 その先

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議事録

大変長いのだけれど、国会でこういう議論があったということは知っている必要がある。
第134回国会参議院法務委員会 第2号1995年11月9日(木曜日)

  • 政府委員(永井紀昭君) 委員御指摘の「戦争犯罪裁判概史要」と題する本を持っております。それからまた、「BC級戦犯被告概見表」というのは、これは多分「戦争犯罪裁判概見表」という、こういう書類ではないかと思います。そういう資料を持っております。
  • 本岡昭次君 総理府の外政審議室が日本軍の慰安婦問題の実態を解明するために、1991年から1993年にかけて関係各省庁に資料の提出を求めました。法務省バタビア臨時軍法会議の記録を提出しています。その記録では、インドネシアのジャワ島で、オランダ人女性を慰安婦とした軍人、民間人10人が死刑を最高に7年、10年、15年、20年という有期刑の判決を受けていますが、この資料を提出した事実の確認をしたいと思います。
  • 政府委員(永井紀昭君) そのような資料を提供したことはそのとおりでございます。2年前の8月でございます。
  • 本岡昭次君 私の手元にその資料がありますが、ここには慰安所で女性に売春を強要するなどの戦争犯罪行為を行ったことによって有罪判決を受けている、このことは確認できますね。
  • 政府委員(永井紀昭君) このジャワ島セマラン所在の慰安所関係の事件及びジャワ島バタビア所在の慰安婦関係事件の報告でございますが、これは実は法務省のこういうBC級戦犯に関する資料というものの性質をちょっと御説明させていただきますが……
  • 本岡昭次君 いや、そんなのじゃなしに、今の私の言うたことだけ答えてもらったらいいんです。
  • 政府委員(永井紀昭君) それは出しておりますが、その報告を出したのは何から基づいて出したかということを一言御説明したいと思っております。
  • 本岡昭次君 いや、それはよろしい、時間がないから。私の手元に「破られた沈黙 アジアの「従軍慰安婦」たち」という本があるわけです。ここにインドネシア関係でジャンヌ・オヘルネさん、1923年生まれの方でオーストラリアに今在住されております。この方の手記をちょっと早口で読んでみます。私はオランダ人です。私が19歳だった1942年、オランダ領東インドを侵略した日本軍によって、ジャワにある捕虜収容所に入れられました。収容所には三年半いたのです。最初、アンバラワ収容所にお母さんと二人の妹と一緒に入れられ、ここに約二年間いました。1944年2月のことでした。大勢の日本の軍人たちがトラックで到着したので、収容所が騒がしくなりました。「点呼のために呼び出されるのだ」と思いましたがそうではなく、「17歳以上の独身女性は中庭に整列しろ」という命令が出されました。少女たちと母親たち、収容所にいるすぺての人が力の限り抵抗しました。あたりは悲鳴や叫び声・泣き声に包まれました。しかし、敵の前には従うしかありませんでした。私は聖書・祈祷書・十字架を鞄に入れました。その時、これらが私を守ってくれる武器のように思えたからです。6人の少女が加えられ、結局16人が無理やりトラックに入れられました。トラックは、セマラン郊外の丘陵地帯の道に入り、大きな家の前で止まりました。私を含む七人が降りると言われました。そして、一人ひとりに部屋があてがわれました。その夜、私たちは恐怖の中で抱き合って、祈ることで勇気を奮い立たせようとしました。次の日、やって来た日本人が「日本人の性の慰みのためにここにいるのだ」と私たちに説明しました。私たちは強制売春の奴隷にされたのです。ちょっとあとは読むにたえませんから省きますが、最後の方にセマランの「慰安所」には少なくとも三カ月はいたと思います。彼らは私の青春を目茶苦茶にしました。と書いてあるんですね。そして、これが私の話です。ほぼ50年にわたり守ってきた沈黙を破って上げる叫びです。また、日本軍に捕らえられ、ジャワのあちこちの収容所で私と同じ苦難をくぐり抜けてきた約二百人の勇気あるオランダの少女たちの話でもあります。こういう本、ここにずっとたくさんの方の証言があるんですよ。戦争犯罪なんです、はっきり言って。そこで、私はここに書かれてあるセマランというところの慰安所、そこで行われた性的奴隷、ここで言う蛮行、これを裁いたバタビア臨時裁判所とこれはやっぱり一致するわけですね。これは一致するんです、中身が、ほとんど一致する。そこで、一体この裁判の記録は、法務省ではどのようにこの記録は資料として保存されていたんですか。
  • 政府委員(永井紀昭君) 法務省にはそういう公式記録は何らございません。ただ、先ほども御説明申し上げようと思いましたのは、このBC級戦犯の記録を法務省が昭和三十年から収集し始めましたのは、それまで各省庁がいろんなものを持っていたりするものを集めたものでございまして、実は戦犯裁判につきましては、BC級については何ら公式記録を我々日本国としては受け取っておりません。ほとんどその資料は、被告人本人がたまたま持っていたものであるとか、遺族の方が持っているとか、あるいは弁護人として関与された方がメモ書きをされたものとか、そういう雑多な資料を集めたわけでございます。そういう関係でバタビアのあれにつきましても、正式記録といいますか公式記録は一切ございません。従軍慰安婦の問題が起きまして急いで調べたのですが、どうもオランダ語で書かれた起訴状の写しと判決書きの写しらしいものがあるというので、それで二年前に急いでオランダ語を翻訳していただきまして、それを見たところ、これは多分間違いないだろうという推定ができましたので、多分これはこういう事件があったろうということで報告をした、こういうことでございます。

本岡昭次君 その努力は歩といたしますが、それでは、そこまで御努力いただいたのであるならば、このグアムにおける従軍慰安婦問題もなぜ同じように調査ができなかったのかということなんです。ここに私が持っておりますのは、グアム島の日本人に対する起訴理由概要ということの中で、日本人が原住民婦女を慰安婦として日本軍にあっせん、売淫せしめた罪によって終身刑、そして減刑で15年になったというこの起訴理由概要というものがある。これは法務省の資料としてあったわけなんです。それを入手したんです。法務省にある資料として間違いないですね。

  • 政府委員(永井紀昭君) この「概見表」というものは、収集を始めるに当たって、いろんな雑多なものから多分こういうことがあったんではないかというものを全部一覧表にして整理したものでございます。そのときには、中身が本当かどうかというより、多分こうではないか、こういう話も聞いているということで全部整理して、いわば整理表のように索引としてつくったものでございまして、中身が本当かどうかはちょっとわからないわけでございます。そこで、実は、これはまだ終戦前のときのグアム島における裁判で、戦争裁判の概見表の中には確かに、今、委員御指摘のとおり、原住民婦女を慰安婦として日本軍にあっせん、売淫せしめたとの起訴理由概要が記載されております。これは、ある民間の男性でございますが、ところがこの方につきましては、その起訴理由概要の中にも、実は、ちょうど日本軍が昭和十六年十二月に占領したときに立ち会った方でございますが、米軍の司令官を殴ったとか、あるいは米国旗を侮辱したとか、あるいは米国人からエンジン二台を強奪したとか、あるいは地元民を日本軍の飛行場建設に従事させたとか、そういったいろんなたくさんの訴因らしきものが並んでおります。この方につきましては、実は客観的な資料が何もないんです。昭和37年に実は、その方はもう高齢の方らしいんですが、聞き取りをやったんです。ところが、中身がよくわからない、何が理由で判決を受けたのかもよくわからないと。こういうようなメモ書きだけが一部残っておりまして、客観的な資料がないものですから、これはどうにもならないということで報告はしなかったという、こういうことになっております。
  • 本岡昭次君 いや、ないとかどうにもならないとかって、これをお渡ししますよ。グアム裁判記録ですよ。これは日本の国立国会図書館にあるんですよ。そして、1988年3月31日に一般公開しておるんですよ。それを入手しておるんですよ。グアム裁判記録ということでこの膨大な資料の中に、慰安婦関係の証言、そしてそれに対する起訴状、判決、いわゆる慰安婦に対してですよ。これだけマイクロフィッシュを戻したんです。私はちょっとこれだけの英文をとても、とてもやない、初めからわからへんけれどもね、私は。おたくらやったらこれを、さっきオランダ語を訳してバタビアの裁判の分を資料として出したんでしょう。それならこれをちゃんとあなた入手して、グアム島裁判の記録を、裁判の問題なんだからやりなさいよ。何もオランダやらインドネシアまで行かなくたって、ついそこにあるんです、この資料が。国会図書館GHQの協力を得て入手して一般公開しているんです。どうしますか、これ。ほっときますか、このまま。
  • 政府委員(永井紀昭君) 国会図書館にはGHQ関係の資料、マイクロ化した資料が保管されているという話は承知しております。ただ、私どもその中にグアムの裁判記録があるかどうかというのを確認したことはございませんでした。今まで国会図書館の方に……
  • 本岡昭次君 これからどうするんですか。
  • 政府委員(永井紀昭君) もし資料提供いただけるんでしたら調べてみたい、こういうふうに思います。
  • 本岡昭次君 いや、提供していただけたらって、あなたが行って、国立国会図書館法務省が行って、これ一般公開されておるんですよ、入手されたらいいじゃないですか。大臣、こういうことなんですよ、事実は、法務省の関係している人の感覚が。やってくださいね、これ。これだけの中身をどういうものであるか解明してくださいね。約束してください。
  • 政府委員(永井紀昭君) 今突然のお話で、私ども本当を言いますと、本当にそういうものがきちっとあったか確認していなかったものですから、改めてそういう確認作業をさせていただきたい、かように思います。
  • 本岡昭次君 ひとつよろしくお願いします。それと、先ほどおっしゃいました「戦争犯罪裁判概史要」というこの本の267から268ページの中に、BC級戦争犯罪裁判起訴事実調査表というのがありますということを書いた本があったわけなんですが、出典としてこれは確認していただけましたか。
  • 政府委員(永井紀昭君) 確かにそのような記載がございます。
  • 本岡昭次君 はい、それで結構です。その中に、どういう起訴事実であったかという区分があります。それをずっと読んでいきますと、強姦142件、売春強制34件、婦女誘拐2件というのがあります。私は、この従軍慰安婦問題をずっとここ5年ばかり追及してきましたけれども、この売春強制というのはこれは従軍慰安婦問題であろう、こう考えるんですが、法務省の見解はいかがですか。
  • 政府委員(永井紀昭君) 確かに「戦争犯罪裁判概史要」の中に戦争犯罪裁判起訴事実調査表というのが整理されておりまして、その中に売春強制という項目があることも事実でございます。ただ、この資料は、昭和30年から約15年間、当調査部の顧問あるいは参与として戦犯資料の収集調査の作業に携わった方々からの報告書という性質を持っておりまして、その収集の過程においてはいろんな文献調査なんかもやられていろいろやっておられたようでございまして、それが、その当時執筆された方はいずれも故人となっておられまして、この売春強制という言葉の意味そのものにどういうふうに定義をつけられたかというのはちょっと確認できておりません。そういう意味で、すべてが従軍慰安婦を意味するかどうかということもちょっと今の時点では確認できないという、こういう状況でございます。
  • 本岡昭次君 それでは、ぜひ確認をしていただきたいのであります。その上で、この裁判国です。それは要するに34件の内訳となります。米国が1、オランダが30、中国が3、合わせて34という数字が出てくるわけです。米国の一というのはグアムの1ではないかというふうに私は思うんです。オランダの30というのは、先ほどのバタビア臨時軍法会議ですか、そこで裁かれた10人のほかにまだ20人、どこかにこの資料が眠っているんではないかと推察できます。中国3、これは一体どういうことなのか。従軍慰安婦問題について、今政府は、女性のためのアジア平和国民基金ですか、何か一億総ざんげみたいなやり方で国民からカンパを集めてやろうとしております。私は大反対なんです。国が責任も明らかにしないで、あなたのお父さんやおじいさんもひょっとしたら従軍慰安婦にかかわっているかもしれないから、その償いのために国民は金を出せという、そんなやり方は間違っていると思うんです。国がまずきちっと責任をとって、そしておわびをして個人補償をやって、その後を、国民が私たちもというんならわかるんですけれども、順序が全く逆だと思うんです。そういうときですから、私、今このことを問題にしておるんですよ。その集めたお金を従軍慰安婦の方に渡すというんでしょう。ところが、従軍慰安婦というものが、いつ、だれが、どのようにして組織したのか、何人いたのかということがわからないでやっているんです。そんなばかなことがありますか。だれが、いつ、どのようにして従軍慰安婦を組織したと、何人いたと、中国に何人、フィリピンに何人、インドネシアに何人というふうに、従軍慰安所がどこにあって、そこに何人の従軍慰安婦がいたと。その人たちは原籍は、朝鮮半島から来られた、現在の韓国とか朝鮮民主主義人民共和国の人は何人、中国の人は何人、台湾の方は何人、また日本から行った人もおるだろうから何人というふうに、そういうことができて初めて実態がわかるんです。実態も真相もわからないのに、国民から金を集めて、やれおわびのためのカンパをするんだという、こんなことができるはずもないし、そんなことがこのことを問題にしている世界の人たちから日本は立派なことをしたということには絶対に私はならぬと思うんです。だから、法務省法務省なりに、一体従軍慰安婦と、私たちにとって恥ずべきこと、口で語るも本当に恥ずかしい思いをしなければ物が言えない、こういうことを過去の日本軍はやってきた。だけれども今、その実態をみんながしんどくてもつらくてもやらなければしょうがないんです、これ。だから、法務省は自分たちの関係するものをしっかりと調査をして出してきてほしいと私は言っているんです。そういう意味で、米国の1、オランダの30、中国の3は一体何なのか、責任を持ってこれを法務省調べ上げてください。法務大臣、いかがですか。
  • 政府委員(永井紀昭君) この「概史要」の中の起訴事実調査表といいますのは、これはどうも起訴事実の数室言っているんではないかと推測されまして、もともと法務省がいろんなところから引き継いだ資料としてそういうものが全部この中に含まれているかといいますと、特に中国関係なんかはほとんどないというのが現状でございます。私ども、長年整理をしてきた中にそういったものがあるかどうかをまた改めて検討するということではやぶさかではございませんが、とにかく資料の範囲が非常に、どこまで手を伸ばせてやれるのかどうかということについては、余り自信がない面もあるという問題もございます。
  • 本岡昭次君 大臣いかがでしょうか。
  • 国務大臣宮澤弘君) 何分50年前のことでございますので、一体どこまで正確な調査ができるかどうかわかりませんけれども、法務省が持っております資料についての、そういう意味の調査というのはできるだけいたしたいと思っております。
  • 本岡昭次君 その一つが、先ほどちょっと嫌みになったけれども見せた、こういうことなんですよ。本当にやる気があるのかないのか、私は疑っているんです。なぜならば、私が1990年6月にこの従軍慰安婦問題を予算委員会で取り上げたときに、まず政府の答弁は何であったかというと、そんなことは知りません、民間人が勝手に連れ歩いたんでしょうと、こう逃げたんですよ。そんなことはないと言ったんだけれども、政府は調べないんですよ、調査をしない。仕方がないので私たちがやったんですよ、民間人の人たちが。私だって、あなた、GHQの持っている資料をアメリカの公文書館の中から、そういう探す力のある人の協力を得て探し出して、そして政府にこれは何ですかと。アメリカの捕虜が沖縄からハワイヘ連れていかれたと。しかし、その捕虜と言われておる人の中に女性の名前があるじゃないかと。その当時、日本軍は女性を軍人にしていなかったはずだと、その女性とは何だと、これは恐らく従軍慰安婦ではないかと言ってこうやる。そういうことで仕方なく渋々と政府は調査に乗り出したんですよ。そういう経過がありますから、本当に皆さん方があるべき資料、出すべき資料を全部出し切ったのかということに対して私は疑問を持つんです。しかし、それは無理からぬと思うんです。厚生省やいろんなところへ頼みに行ったら、先生こらえてくださいと。今でも手いっぱいなのに、先生が言われるように、そうしたら、倉庫へ入ってわあっとかき回して見ている間に、私の責任ある仕事はだれがどうしてくれるんですかと、こう言われるたら私もつらいです。だからこれは結局、この従軍慰安婦問題の真相を解明するためには、真相を解明するための特別のチームを組むなりそのためのやはり組織を一つ設けるなりして、そしてそのことだけを専任する人を集めてやらなければ、さあ厚生省だ、法務省だ、外務省だという縦割り行政の中でそれぞれある資料を出してきなさいとやったって、だれがそれでは本気になって集めるか。集めたら、ようやったと言って、おまえはよう集めた、課長にしてやるわと、そんな問題でもないでしょう。むしろ出してきたら、おまえ、要らぬものを出してくるなというぐらいの状況じゃないかと私は見ておるんですよ。だから、本気になってひとつやっていただきたいと思うんです。そこで、最近日本を訪問した、この従軍慰安婦問題についての特別報告官のラディカ・クマラスワミさんという方がおいでになりました。これは国連の人権委員会の公式の調査団であり、ある人に言わせると、国連から正式の調査団が日本を訪問したのはリットン調査団以来のことだと、こう言う人もありますが、しかし正式の国連の人権委員会の調査団であったことは間違いない。この方が一週間ほど日本に滞在されて、この従軍慰安婦問題をずっと聞き取りをなさいました。法務省にも行かれた。そのときに、ラディカ・クマラスワミさんは、先ほど私が言いましたこのグアムの資料ですか記録ですか、そういうものが法務省にあるんではありませんかと言って尋ねられたところ、対応した人がそのことについて精通されている方でなかったということもありました。何かわかったようなわからぬようなことで、この資料は結局ないということになって、その後、国連の正式の調査団に対して法務省が資料の提出を拒否したという形になったようであります。

 私はこれは人ごとだと思うんです。先ほど聞きますと、いやそうじゃないと、後できちっとおわびをして前後関係を説明して正式の報告をクマラスワミさんにしたと、こうおっしゃいました。それはそれでいいでしょう。しかしながら、事実、グアムの資料がないのかというと、たとえあなた方の言うこれは公式の記録ではないんだとおっしゃるにしても、こういうのがあるんですよ、これ。記録か資料かというと、皆さん方は、いやそれは記録ではありません、資料ですとおっしゃるそうですね。ようわからぬですね、記録と資料がどう違うのか。しかし、あることは間違いないと思うんです。そして、ここに国立国会図書館のこうしたGHQから日本に渡されたこの資料がある。だから、こういうものをきちっと国連の調査団に、要請された以上、要請に誠実にこたえていくのが今の法務省の立場じゃないかと私は思うんですが、いかがでしょうか。

  • 政府委員(永井紀昭君) 「概見表」自体が資料だと申し上げておりますのは、それは、例えばグアムのこの事件だけ見ましても、御本人から聞いたところだけを一応メモをしておいて、それが果たして客観的な証拠があるかどうかを探ってみたんですがそれがなかったという、こういうことでございまして、それ自体が公式記録であるとか真実であるとかというものではないという性質のものであります。ところで、クマラスワミさんがおいでになりましたのは、実は私どもの調査部にはおいでになりませんで、何か外務省からは女性の暴力に関する刑事法制について説明の場を設けられたいということで、これは刑事局が対応されたようでございます。私ども調査部は全く知らなかったんでございます。ところが、訪問された際、刑事局で対応されたわけですが、クマラスワミさんが、ジャパン・タイムズにグアムの戦犯記録を法務省が隠しているんではないかというようなこういう新聞記事が出ているけれどもこれはどういうことですかという、こういう御質問があったようでございます。これはジャパン・タイムズに出た記録、新聞でございます。それで、事実関係の確認を刑事局にされたようでございますが、刑事局ではちょっとそれがわからなくて、調査部の方で確認いたしますという答えでそのままで終わったようでございます。それで、早速調査部に連絡ございましたので私どもの担当官が参りまして、これは実は記録がございません、決してうそを言っているわけじゃございません、それらしい客観的なものでもあればいろいろ何とか対応するんですが、今のところ見当たりません、本人が言っているのを見てもよくわかりません、こういう状況ですということを御説明いたしました。またジャパン・タイムズにも、何も法務省が隠しているものではございませんという投書を載せていただきました。そういうことで、クマラスワミさんにも直接お会いして説明し、あるいは文書も出し、またジャパン・タイムズにも掲載していただいた、こういう経緯がございます。
  • 本岡昭次君 時間が来ましたので、最後に法務大臣に御答弁をいただいて終わります。約30分近く、私は従軍慰安婦問題の法務省に関係する問題について質問いたしました。それで、一番今欠け落ちているのは真相が解明されていないということなんですよ、真相が。しかし、私は、解明されていないというよりも、政府が、各省庁が本気になってこれを解明しようという意思があるのかという問題だと思っているんですよ。私はここで、やはり国際舞台の中で大きな役割を果たそうとしている日本です。国連の中でも重要な地位を占めなければならぬ、世界の信頼、名誉、そうしたものを私たちは大事にしていかなきゃいかぬが、従軍慰安婦問題というのは文字どおり恥部ですよ、のど元に刺さったとげですよ、これ。こういうものをあいまいにしておったらだめです。だから、法務省法務省として、ひとつ法務大臣、もう一度従軍慰安婦関係のすべての資料を調査して、そしてそれを公開する。これは見せられませんとか、これはだめですとか、そういうことじゃなくて公開する。そして、政府の責任で真相はこうだということを公表させていくということをぜひとも閣僚のお一人としてやっていただきたい。このことについての法務大臣の決意をひとつ伺って、終わりたいと思います。
  • 国務大臣宮澤弘君) 先ほども申しましたように、半世紀前のことでもございますし、なかなか調査には人手も要します、時間も要すると思います。しかし、法務省のかかわっております資料につきましては、今もおっしゃいましたけれども、公開をするに当たってやはり正確性なりなんなりというものもチェックする必要がございます。そういうことで、内容の正確性についても十分検討しなければなりませんし、あるいは個人のプライバシーに関することもあるかもしれません。でありますから、そういうことも当然考慮に入れて、できる限りそれは調査をいたしたいと思っております。