ほぼ足りてまだ欲 その先

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学校と塾

 NHKのニュースを見ながら夕飯を喰らう習慣になっている。あそこのニュースは最近とみに偏ってきているからいやなのだけれど、よほど見たくなるような旅番組でもあれば別だけれど、そうでない時は見てしまう。これも幼い頃からの刷り込みの一つなんだろう、そういうことから考えると未だにもう20年以上昔に死んだ親父の呪縛に絡め取られているのかも知れない。
 で、驚いたのは佐賀県武雄市が学習塾と提携し、「官民一体型」の小学校を創設する、というニュースだ。それで対象として取り上げられていた塾というのが花まる学習会という塾なんだそうで、そこの学習の様子が流れていたのだけれど、四文字熟語の学習、計算問題の個人の記録速度の話、なんてのが出てきて、これを見ているとあたかも、大声、ガッツポーズ、叫ぶ!なんて連続で、面白くできたらそれで良い!といっているかの如くだ。これはやれる子どもは面白いに違いない。私はこれを見ていて気持ちが悪くなった。なんかに似ている、なんだろう?あ、そうだ、この子達は北朝鮮のつくられたにこにこ顔で歓迎の唄をキンキン声で歌う、あの少女たちのようなのだ。わが国でいえば、戦争中に育まれた皇国少年そのものだ!
 反面、このペースに乗っていけない子は一体どうなるんだろう。「教育」で問題になるのはいつもそれに乗っていける子ではなくて、それに乗って行かれない子どもだ。だから、みんなが行くわけではない塾ならそれをやっても良いけれど、誰も彼もが受ける権利を持っている義務教育の場でそれをやってはいけないはずなのだ。
 そうしたひとりひとりの子どもの個性に合わせていかなくてはならないのが、義務教育というシステムの根幹なのだ。
 武雄の試みは受験機械的知識を植え付けるのにはとても向いているはずだ。「一知半解」なんて四文字熟語を私はこの歳になるまでは知らなかったけれど、彼らはそれを頭の中から引き出した。それこそ「一知半解」かも知れないけれど、それが出てくれば試験で勝てる。義務教育というのはそういうことではないはずだ。塾は飽くまでも塾の存在であるべきで、その点では必要だけれど、学校はそうではないはずだ。
 何かを取り違えている。