ほぼ足りてまだ欲 その先

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少子化

 はなはだ残念なことながら、日本の少子化に歯止めになるような手立てというのはもう、無理だろう。ここから急激に特殊出生率が2.00を超えるようになるとはとても考えられない。政治に携わる人間達だって、どうにかできるとはもはや考えちゃいない。尤も彼らはなんだって真面目に考えちゃいないわけだけれど、今回のそれに大きく関係する子育てへの支援、あるいは子作りへの支援なんてものに関心すら持っていないことがわかる。流行の言葉だから、それに近いことをお題目のように唱えているというだけの話だ。
 実際の話、結婚するよりも実家から仕事に行って好きなことをしているだけであれば、そんなに費用もかからない。しかし、一家を構成して、子どもを学校へ行かせて、まさに社会と闘うということができる様な余裕がひとりひとりの若者に生まれるかといったら、今や誰もウンとはいえなくなってしまった。
 40-50年前と一体どこが違ってきてしまったのだろうか。あの頃は所帯を構えるんだったら、部屋をどうにかしてやるぞ、とか、その辺に長屋の一軒も空いているから、そこへ住んだらどうだよ、という程度の話で終わっていた。文化住宅なんてものでよかったのだ。今やそんなことでは始まらない。誰もが悠然とした暮らしが欲しい。だから、それが実現できないんだったらそんなところに足を踏み入れるなんてことはしたくない。
 それを我が儘ととるのか、あるいは当然ととるのか。
 生活のレベルが上がってしまってそれには費用がかかる。となれば、収入もそれに匹敵して増えるような社会にならなくちゃならない。それには多くの人たちが多くの負担をするしかない。しかし、そんな負担が増えるような社会の仕組みを作るとしたら、政治家は誰も動かない。なぜなら、選挙に受からなさそうなシステム作りをしなくちゃならないことになるからだ。
 それよりも、それを動かすためには企業がお金をたくさん集めることができて初めてそれが機能するきっかけができるんだと刷り込んでおく方がなんぼか簡単だ。そう誤解させておくのが最も楽で、金がかからず、自分たちにまわってくる手段だ。
 企業にきちんと儲けを国庫に分配させ(つまり法人税をきちんと負担させ)、労働者の消費者としての役割をしっかり果たして貰うためにペイメントをしっかり出し、補助していく、というやり方が、少子化を防ぐ手立てとなるのだろうけれど、それは経団連が賛同しない。それじゃ、彼らの懐に多くが残る可能性が減るからだ。
 消費者としての労働者の存在に敢えて目をつぶっている経団連は自らの懐に注ぎ込むことがその先のマーケットを縮小させていることに気づいていない。それはなぜかといったら、そんなに長期戦略は自分の責任ではないからだ。それは政治家が考えるべき問題であって、そのために自分たちにとって役に立ちそうな政治家に金を注ぐだけである。
 少子化への歯止めなんぞを彼らが(真剣に)考えるわけがないのだ。