ほぼ足りてまだ欲 その先

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学徒出陣

 あれは昭和18年10月21日のことだ。それまで徴兵を猶予されていた大学生のうち、文系の学生が徴兵されることになった。それで各地でその出陣式が挙行された。中でも東京では神宮外苑では送られる学生2.5万人、送る人々5万人が観客席をびっしりと埋め尽くし、そぼ降る雨の中学生服に角帽、足にはゲートルを巻き銃を担いで行進、そのまま彼らは宮城前まで行進し、天皇陛下万歳を三唱したそうだ。
 文部大臣、東条英機の演説、送辞があって答辞があった。答辞は東大文学部学生・江橋 慎四郎が行った。

予ねて愛国の衷情を僅かに学園の内外にのみ迸しめ得たりし生等は、是に優渥なる聖旨を奉体して、勇躍軍務に従ふを得るに至れるなり。豈に感奮興起せざらんや。生等今や、見敵必殺の銃剣をひっ提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて、悉くこの光栄ある重任に捧げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を期せず。在学学徒諸兄、また遠からずして生等に続き出陣の上は、屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、以て大東亜戦争を完遂し、上宸襟を安んじ奉り、皇国を富岳の寿きに置かざるべからず。斯くの如きは皇国学徒の本願とするところ、生等の断じて行する信条なり。

 これを読んだ江橋は戦後帰還して日本の体育学を確立した研究者として活躍し、鹿屋体育大の創設に尽力し、初代学長となった。未だに鎌倉に健在である。
 江橋にインタビューをしたことがあるという保阪正康によると、この答辞の原稿は彼の手によるものではないそうで、当時の東大文学部国文学科の教員が書いたものだそうだがその教員は終戦後やはり戦争反対を唱えたのだそうだ。非常に格調高く士気を正に鼓舞する文章だと言って良いかもしれない。しかし、この調子で目をらんらんと輝かせて書き上げただろう情熱をもって「平和」を説いたのだろうか。どうもかつての日本が手本にしていたドイツ式というか、あの調子ではどうしてもファシストになってしまうじゃないかというのは保阪の印象だ。なるほど、頷ける話ではある。
 学徒出陣式というものは何も雨の神宮でだけ行われたわけではなく、各地で行われたらしい。保阪が後年資料として見つけた写真の中に札幌で行われたその式典のものがあるのだそうで、それは出席者はわずかに50からせいぜい100人くらいであり、スタンドに見送る女学生なんぞかけらも見えなかったという。
 江橋のように戦争の影を負ったままの人たちがいくらもいたはずで、彼らの大半は口を閉ざしたまま持って行ってしまった。本当はそうした負の遺産をきちんと子孫のために残しておいて欲しかった。そうであったらファシストが復活するようなことはなかなか難しかったはずだ。