ほぼ足りてまだ欲 その先

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ビキニ事件

 1954年3月1日、米国が太平洋・マーシャル諸島ビキニ環礁で水爆実験「ブラボー」を実施した。私が小学校に入学したのはこのほんの一ヶ月後のことだ。だから当然、この事件のことは覚えている。第5福竜丸という名前、亡くなった久保山愛吉さんの名前はくっきりと覚えている。
 しかし、そのあと記憶はぱったり途絶えてしまって、次に出てくるのは夢の島にこの船が残されているということに気がついた時だから、そのあと40年くらい欠落していたということだろうか。
 なにしろ水爆を爆発させちゃったんだから、あの船一隻の被害で終わっているわけはないのであって、被害を被ったのは他にもあったはずなのに、私の記憶はこれっきりだった。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014092002000145.html
 今回情報開示を請求したのは、太平洋核被災支援センターという団体で、国や関係自治体が1954年3-6月にかけて延べ556隻の漁船の被ばく状況を調べた検査結果や政府の会議記録など304点(計約1900ページ)が開示されたと東京新聞が報じている。それによると魚の廃棄基準だった毎分100カウント以上の放射線が乗組員から検出された船は延べ12隻(実数10隻)あり、最も高かった人は同988カウントだったという。第五福竜丸の乗組員の推定被ばく線量は1.6-7.1シーベルトとされ、他の漁船と比べ突出して高かったそうだけれど、私にはこれを聞いて瞬時にどの程度の被曝量なのかがわからない。
 情報公開法施行後、今回と同様の開示請求が一件あったそうだけれど、そのときは厚生労働省は「保有していない」と回答したそうだ。それにもめげずこうした活動をしている人たちがいたということに非常に感銘を受ける。
 当時の国は乗組員らの被ばく量検査を行いながら、結果や発病の危険性を知らせていなかった。そういえば終戦間際の原爆投下による被害を戦後調査したものも国民には正しくもたらされていない。今回の福島第一原発の事件でも、正しい放射能汚染の実態が国民には知らされていない。どんどんあってなかったことのようになってきている。何しろ「完全にコントロール」していることになっている。
 この国国民は本当に辛抱強い。どんなことになってもこの国を好きだ。どんなむちゃくちゃなことをされても、それでもまだ国を信用している。