ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

特別

 病院に来院する高齢男子の行動について書かれたものを読んで驚いた。簡単にぶち切れる高齢男子患者が頻繁に報告されるというのだ。そういえば鉄道の駅やホテルのフロントなんかで怒鳴る爺というのが結構報告されることがある。
 それまで自分が生きてきた階層社会から放り出されて、ただの一人の老人となった存在に気がつくことなく、その悲哀を受け入れられない。平等な扱いというものが我慢ならんらしい。時としてお婆さんの中にもそんな人がいないわけじゃないけれど、その圧倒的多数は爺さんだ。だから、ある種の特別扱いが実施されると簡単に解決がつく。
 昨日松井久子監督から教わった逸話。あるグループホームで女性の利用者は全く屈託なく溶け込むのだけれど、男性がそうできない。なんといって自分を紹介して良いかわからない。そこで男性に「係」を作って、その係名を明記した名刺を作ってあげたのだそうだ。すると男性は嬉々としてその名刺を提示して入っていくようになったという。笑うに笑えない。自分もそれに近いかもしれないという恐れを抱く。
 退職後、当時の職場の上司部下で集まる会というのが良く開かれているようで、平日の昼間、銀座や新宿のあたりを歩いていると、おそらくそんな会の帰りだろうと覚しき高齢男子グループに遭遇する。グループの中にいればかつてのヒエラルキーはそのまま持続されるから安心この上ない。初対面の人たちの中では俄にその位置関係は確立されない。ま、考えられるとしたらまずは年齢しきゃない。
 世の中には金で買えるものばかりじゃない。どうしても金で買えないものもあるということをとっくに忘れてしまっている。
 こんな爺さんの中には、セックス・ハラスメントとなる行為にどうしても気がつけない人も多い。それはどうしてなのか。彼らは自分から「こんなのはセクハラでも何でもない」という。発言する、行動する側の判断によって規定できてしまうと思っていること自体に驚かざるをえないけれど、それは何もセクハラ発言・行動に限らない。その延長線上にヘイト・スピーチや差別発言や行動もあると思う。なによりもその感性が愚劣だ。理性も知性もない。彼らの心の中には「俺は特別」という意識が明確に、あるいは隠れて存在している。