ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

昨日今日

 プロフィールにも書いているように私は1947年生まれで、今年67歳になった。金曜日に同期の友人がいうには、私たちは既に榎本健一の人生を超えたんだそうだ。エノケンは66歳で亡くなったんだというのだ。え〜っ!思いっきり驚いた。エノケンはかなりの歳になっていたという記憶なのだ。ということは私たちもかなりの歳なのかもしれない。
 なにしろ高校を卒業してからもうそろそろ半世紀なのだ。先日、東海道新幹線ができてから半世紀と聞いて、驚いた。もうそんなになるのかと。
 あの頃といったら、日劇ウェスタンカーニバルがあって「映画と実演」と書いてあった。オリンピック前はオリンピックのための工事、工事でもうそこら中が埃だらけだった。ワンワンしていた。それでも私が冬になって学生服の上から来ていた外套は紺色の学校指定のようなぺらぺらだったし、その前は親父の古くなった上着をひっくり返して作り直したものだった。これが一言では今の人に通じない。
 上着の表側は着古して日に焼けていても、これをひっくり返してみると、裏地がついていたんだから、焼けていないのだ。それを表にして作り直してくれるということを商売にしている人が居て、そうして再利用する。今から考えてみたら非常に理にかなっていて、資源の有効利用そのものだ。ところがひとつ問題がある。普通上着は左の胸にポケットがある。これがひっくり返しちゃうと右に来ちゃうのだ。しかし、ちょっと見、誰も気がつかない。よく考えると、ばれる。
 しかし、すぐに高度成長期に入ったら、そんなことをするよりも、買い換えた方が安い、って事になる。安くて丈夫なものがどんどん出てくる。テレビでも「あれを買え、これを買え!」と日がな一日うるさく囃し立てる。家電三種の神器とか、カー・ライフの時代とかいって煽り立てた。それで物流のマーケットがどんどん大きくなった。
 押し売りなんて、オリンピック以降見なくなった。白衣を着て戦闘帽を被って、下駄に松葉杖でアコーディオンを弾いている傷痍軍人なんて見なくなった。オリンピックが日本を変えたのだ。ま、正確に言うとそうじゃないけれど。
 所得を倍増してくれることになったし、一攫千金を手にすることが夢でなくなった。先輩の話を聞いたら、家を買い換えるごとに大きくなったといっていた。私もそんなことになるんだと思っていた。バカだったなぁ。
 数寄屋橋の近辺にあった堀も、暗渠になったおかげで、どぶ川を見なくて済むようになった。その分銀座がお洒落になった。あのどぶがあのまんまだったらどうなっていただろう。煙草の吸い殻は指先でぽぉ〜ンとはじき飛ばすのが当たり前だった。煙草の封を切ったらセロハンはその辺に飛ばせば良かった。なんでも、水に放り出した。神田川もどぶだった。
 人の心は周りが誤魔化しようがなくなると、つまり、自分が捨てたんじゃない!と言い張っていればごまかせる状態じゃなくなると、結構臆病で自ら汚すことがなくなる。つまり、そういう状況にならなければ、人間は怠惰そのものだって事だ。
 今の中国を見ていて、日本人はひでぇ状態だと鼻先で笑う。しかし、ついこの前まで日本人だって平気でいた。四日市や、川崎の空気汚染だって知らん顔をしていた。今あの頃の映像を見たらぞっとする。水俣病にしたって、平気で知らん顔をしていた。自分には関わり合いがないこったと思っていた。自分が良い状態でいられればそれで良いと思っていた。
 今の若い人たちは気がついた時に日本は落ち着いた状態にあるから、想像がつかない。日本人だって、昔は心がすさんでいた。差別行動や外国人排除を平気で今でも邁進している人たちはあの頃の日本人のすさんだ価値観、人生観をそのまま持ち続けているというだけで、いっかな学習してきていない。置いてきぼりを食った人たちなのだよ。しかも、哀れなことに自らはそれに気がついていない。ついこの前まで、女性は家庭をしっかり守りなさい、それが日本の伝統なのだと周りの状況の変化に気がつくこともできずにいっていた婆さん、爺さんたちは今の日本がどこに問題があるのかを認識することができずにいる。つまり、かつての日本を知らない人たちの逆さまで、今の日本を見つめることができないのだ。その連中が政治に深く関わっている状態が、この国にとっての不幸の始まりなのだ。
 温故知新というのは逆もまた真なのだ。