ほぼ足りてまだ欲 その先

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想い出の先生

 私にとって想い出の先生として特筆すべき人は一体誰だろう。小学校の先生で感謝しているのは一年生と二年生の時の担任だった四宮先生を除いては考えられない。
 中学では一年生の時の担任の先生を全く思い出すことができない。二年生の時は数学の荒木先生で、三年生の時はやっぱり数学の小林先生。高校に入って一年の時は数学の片桐先生。二年の時は体育の川辺先生。三年の時は英語の川辺先生。大学に入ってからはゼミを取ることがなかったから(遊んでばかりいたものなぁ)これといった先生の思い出がない。
 もう一回大学に入った時は自分から選んでいったから、ゼミの岡田徹先生、そして急逝された尾崎新先生。
 学校には全く関係がないけれど、中学三年から高校を卒業するまでの間、毎週通っていた英語の塾があって、そこの先生が横浜では知る人にはよく知られていた大下繁樹先生。横浜の進学校ではとてもよく知られていた塾で、東横線菊名にあった。
 横浜の進学校といえば、男は栄光、聖光、翠嵐、希望ヶ丘、浅野なんてところか。女子ではフェリス、横浜雙葉なんてところなんだろうか。その他、東京組でいながら横浜在住の私たちのような連中がいて、一学年におおよそ百人近くいた。それが一部屋で膝の上に鞄を置いてその上に本を拡げて、何しろ文章を覚えるということを必死になってやっていた。語句の使われ方や、変化を繰り返し繰り返し諳んじて、発音記号を練習し、先生から指されて発音を習い、徹底した繰り返しだった。
 イヤだった先生の多くは私から見てフェアではない先生のことだった。表向きはこうだけれど、実はそうじゃないとか、依怙贔屓が見え見えな、いわゆるアンフェアな連中だ。なぜか知らないけれど、そんな先生はいくらでもいた。