ほぼ足りてまだ欲 その先

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日本人

 日本人と日系人にはどこまで共通点があるだろうか、ということを考えたことがあったかといったらそれはなかったかも知れないなぁ。戦争中のアメリカで日系アメリカ人たちはかなり差別を受けていましたなぁ。これは私たちにはとても想像がつきませぬが、なにしろ日本人と日系アメリカ人を一緒くたに語っていたわけで、日系アメリカ人は親や祖父母が日本人だったかも知れないけれど、アメリカ社会の中でアメリカ文化を背景に育ってきたわけですから、日系かどうかというよりもアメリカ人かどうかで語られるべきだったわけです。
 どれほど育った文化が違うのか、ということが部外者には想像がつかないかも知れないですねぇ。
 私が働いていたことがあった会社では私が入社する10年前くらいには英語で対応することができる人たちがそれほどいたわけではなかったそうで、ハワイ生まれの日系二世の男性が職場の上司でいたと先輩から聴いたことがあります。その人と仕事の話で、どうやって売り込むかということを放していたときに、「それでは虻蜂取らずになってしまうんじゃないですか」といったら彼は「今、虫の話なんてしていない!」と怒ったそうです。私たちはこうしたたとえ話を知らないうちに身につけていますが、じゃ、英語のメタファーの表現を知っているかといったら、そりゃ難しい。
 お年寄りの介護をしている人の話を聴くと、日系アメリカ人のお爺さんは基本的に人に対する礼儀を考えてくれているのが手に取るようにわかるのだけれど、日本人のお爺さんはすべからく威張っているというのです。多分それは日本文化とアメリカ文化のあの非言語コミュニケーションの違いなんじゃないかと思えるのです。
 日本人はすぐ「察してくれない」という文句をいいます。例えば電車の中で奥に入ろうとするときに日本人はそこにいる人に何をいうわけでもなくすり抜けようとします。しかし、本来的には声をかければお互いに他者の欲求を知ることができます。日本人はすり抜けながら「なんでこんなところに立ち尽くしてんだよ、周りを見ろよ」と思っています。
 爺さんは、「なんで膝がいたい私に手を貸さないんだ」と思っていますが「ちょっと手を貸して」といえば済むことなのです。
 だから、電車の中の席でも「座りたいなら、声をかけなさいよ」と思っているはずですが、日本人は「なんできちんと座って他の人が座れるようにしないんだ!」と心の中で思っています。