たまたま私はこの国に生まれ、たまたまこの国に生き続けてきた。同じ日本人でも、もし私が他の国、例えばアメリカのどこかで両親が移民として暮らしていたところで生まれたのだとしたらアメリカ人になっていたのだろうし、そうでなかったとしてもアメリカという国の文化を抱えた日本人となっていた可能性がある。
例えば、両親が満州に暮らしていて戦後のドタバタの中で生まれ、いくつもの山谷を乗り越えてこの国にやってきて暮らしていたのだったら、そんな背景を抱えて生きてきたことになったのだろう。
だけれども、現実はたまたま、ずっと日本で暮らしてきた両親の元に戦後のバタバタの中で生まれ、ずっとこの国の文化の中で生きてきただけだ。
だからといってこのまま自分が知ることができる範囲だけで暮らしていたら、ほんのちょっとのずれで全く違う人生だったかも知れない境遇に気がつかずに、隣にある可能性にも気がつかずに生きていく。
それに気がつくと、じゃ、そのすぐ隣にあるかも知れない状況とはどんな具合だったのかを知りたくなる。
そういう意味で、私が抱えた文化を創り出した歴史の中で私の先祖、祖先がどんなことをしてきたのか、どんなことをしないできたのかを知りたくなる。
特に夏の真っ盛りのこの時期になると、日本が遠くの方まで暴力的に侵略したことを想い出すのだよ。この事実はどんなことをしても隠しおおせることではないし、どんなことをしても誤魔化すことができることではない。