ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

教文館

 今日は金曜日で、概ね金曜日は日本橋・銀座方面に出かけて安い昼飯を食う。そこまで行くといくら安くても「ゆで太郎」の500円なのだけれど、今日は朝から猛烈に三州屋銀座一丁目店の海鮮丼を食いたくてしかたがなかったので、京橋で一番銀座寄りの出口から出るやいなや脇目もふらず「三州屋銀座一丁目店」に急ぐ。
 午後2時を5分ほど過ぎていたのだけれど、それでも暖簾は出ていたから安心して白木の扉を「カラカラカラカラ」とひくと、中にお客はひとりもいない。この時間で昼飯が終わりにはならないのを知っているのに、わざわざ「まだ良いですか?」と聞いて入る。おばさんが「奥にどうぞ」という。あんまり入り口近くに座られるとおばさんは歩く距離が増える。すぐさま「海鮮丼下さい」というが、おばさんは僕が「かいせ・・」くらいまでいったところで「海鮮丼一丁!」といっている。
 中はいつもの口数の少なさそうな板さんが孤軍奮闘する。洗い場担当はいつもどこから来たのか知らないけれど東南アジアの女性二人。
 表が持っていくまで赤だしのナメコ碗はちゃんとふたを付けて出されている。でおばさんが持ってきたらふたを開けるという結構丁寧なことをしていることに今日初めて気がついたのだ。
 私は仕事を辞めてからというもの、とにかくゆっくり飯を食うことにしている。今から考えると学校を卒業したばかりで工場にいた時なんぞは弁当を10分程度でかっ込んで、グローブを持って飛び出してソフトボールをやっていた。なんちゅう昼飯だったのだろうか。もう少したつと、今度は毎日かき揚げうどんを食っていたなんてのがある。良くもまぁあきなかったものだと思うし、みんな現場仕事なのになんであれで身体が持っていたのだろうかと不思議でしょうがない。
 あ、海鮮丼に戻るのだけれど、この場合刺身をひとつずつ味わって食べるので、余計に時間が掛かる。
 不思議でしょうがないのは、ここの山葵は粉の練った山葵じゃないのだ。多分業務用のそれらしい山葵なのかも知れないけれど、あたかもすり下ろした山葵のような食感で効き目もまさにそうなんである。山葵に味があるといったらいいのか。
 今日の海胆は小さいけれど、一応やっぱり載っている。イクラもあって、しめ鯖、鰹、イナダ、烏賊、蛸、甘エビとあればもう満足だよ。
 満足しながら店を出る時には二人連れが二組いた。一組は見るからに退職夫婦で、もう一組は40代ほどの職場の同僚風で一仕事終わって要約の昼飯だという雰囲気だ。
 真っ直ぐ教文館に向かう。「二階がどうたら・・」と書いたビラが外に出ていた。だから、週刊金曜日を買ってから上に上がる。確かにレイアウトが変わっていた。

仮説の昭和史 上 昭和史の大河を往く第十二集

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仮説の昭和史 下  昭和史の大河を往く 第十三集

仮説の昭和史 下 昭和史の大河を往く 第十三集

  いつの間に、保阪正康がこんなタイトルの本を出したのか、いくら多作の彼といっても、体調崩しているといっていたのに、先月末にこんな上下巻の本を出したのかと驚いていたら、例の「サンデー毎日」の連載の集大成単行本だった。そういえばここのところ、この手のものをフォローしていなかったことに気がついた。

 するとそばの棚に、これを見つけた。

国民が本当の主権者になるための5つの方法

国民が本当の主権者になるための5つの方法

 日隅一雄の最後の著書ということになるのだろう。少しずつ書いては現代書館に送り続け、最後の原稿は死ぬ何と二日前だったのだそうだ。また、彼が東電がシレッと夜中に放射能汚染水を海洋投棄すると発表した時の記者会見場で彼が「責任者を呼んでこい!」と怒鳴っているのを想い出す。私はネット上でそれをライブで見ていて、本当にマスコミの記者は腐ったジャーナリスト、いや、単なるサラリーマンでしかないことに怒りを持ってみていた。
 こうして闘ってくれた人がいたことを忘れてはいけないし、それを無駄にしてはならないと心から思うと同時に、電力企業を核にした原子力村に住む人間たちと、彼らにヨイショするためだけに国会議員をやっている民主党野田政権を激しく軽蔑するものである。
 山野楽器の3階に上がり、聴いたことのない女性ヴォーカリストを試聴しようとするが、先客の40代とおぼしき女性が占領し続ける。半時間ほど他を見てきてもまだヘッドフォーンを付けている。もう少し我慢をして、とうとう彼女が離れたので聴いてみると・・・やっぱりジャケ買いしなくて良かったのだ。