和食はもはや風前の灯といっても良いかもしれないですね。なにしろ海外ではもう和食というものが存在していないと言っても良いかもしれないです。何言ってんだよ、外国の街にもSUSHIと書いた看板があっちこちにかかってんじゃないか、という声が聞こえてきますが、あれはもはや和食ではない。和食をはるかに超えるものになっているという意味ではございません。あれは和食という名前の偽物と言わざるを得ないわけですね。
なんでも良いから、ご飯みたいなもので、何かを巻いてある、あるいは何かを乗せてあれば良いというものになっています。
翻って日本国内に和食がこんなにあふれているじゃないか、という声も当然あるわけです。私は毎日和食を食しているという。今本当の和食を食べようとしたらそれはそれは大変です。なにしろ大枚はたかなかったら食べられませんから。だいたい出汁を出す、という行為一つをとってみても、もはや家庭ではめったにできなくなってきちゃいました。一番効率的で、一番金がかからない方法をとるのが日常生活ですから。
完璧な和食はもはや大金持ちのみなさんだけのものとなってしまいましたからねぇ。あ、そうそう、お金を作るのに、最も効率的なのは、政治家になるってことでしょうか。