ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

栂尾

 永六輔作詞、いずみたく作曲の「女ひとり」という歌の二番の歌詞

京都 栂尾(トガノオ) 高山寺
<これ以降の歌詞についてはJASRAC様より「著作権侵害だ」としてご指摘を戴きましたので、削除させていただきました。よくお仕事をされているのに、驚きました。あぁ、だから給料があんなに良いのね!?>

 というわけでございます。だからというので今日もまた昨日に続いて、嫌という程のお散歩コースでございます。それも階段攻め。もうえらい目にあいました。しかし、今年の暖冬に感謝するしかありません。例年だったら凍りついていてもおかしくないというほどの山奥でございます。
[ 地下鉄で二条駅まで参りまして、そこからJRのバスに乗って栂尾へ向かいました。ここまで行くのはJRバスだけで一時間に4本走っています。バスが止まったところが高山寺の下です。そこから裏参道と書かれた階段を従順に上がってまいりますと上から同年齢くらいのお母さんと娘さんが降りてこられました。すぐそこだろうとたかをくくってましたけれど、まぁまぁでした(後の二つのお寺に比べれば)。
 上がったところに石水院があって世界遺産ですが、元はといえば神護寺の別院。石水院に上がらしていただくにはひとり600円。写真不可。お庭が素晴らしい!しかも、今朝は北山時雨のあとのお日様で、キラキラしています。
 ここには日本最古の茶畑なるものがあります。「栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵につたえ、山内で植え育てたところ、修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたという」とされています。ま、つまり12-13世紀の頃のことでございますな。それまでお茶が日本に伝わっていなかったことも結構不思議でございますな。あれだけ様々な人たちが大陸や朝鮮半島から文化を携えて渡来しておられたんですから、とっくに伝わってきていても良かったような気がします。ま、仏教を知れば知るほど、日本の文化が大陸なくして語ることができないことに気がつきます。ま、前から分かっていたことなのにね。
 また、ここは鳥羽僧正の鳥獣戯画で有名なんだそうです。知りませんでした。4巻を2巻ずつ東京国立博物館京都国立博物館に寄託保管されているんだそうで、ここで見られるのはレプリカです。
 人がいたのは石水院だけ。800年ほど昔に立った金堂にも誰も人はいない。帰りは表参道を下りました。
 街道を歩いてしばらく戻ると、西明寺神護寺はこちらと書いた道標があって、どんどん川に沿って下っていきます。あれあれ、こんなに下がって行っちゃっていいのかなぁ、お寺がこんなに低いところにあるとは思えないと不安に思っていると、そこに「西明寺」と書かれた矢印を発見。案の定、四段階になった階段が刻まれている。よいしょ、よいしょと上がっていくとそこに山門。中を覗くと、楽しそうに談笑しながら庭仕事の道具を抱えた女性が二人歩いていく。そのあとは、全く人がいない。誰もいない。石灯篭の上に苔がびっしりと乗っている。上にだけ乗っているのが不思議だ。
 ウィッキペディアによると天長年間(824年〜834年)に空海弘法大師)の高弟、智泉大徳が神護寺の別院として創建したといわれているのだけれど、正応3年(1290年)に神護寺からやっぱり独立。
 さて、階段を下って川沿いの道に出て、下っていく。さぞかし夏には避暑のお客さんが来て川床で一杯楽しむってことなんだろうけれど、何度もいう通り、この真冬ですから、どこもかしこもお店は閉まっております。
 神護寺の下までやってくると、またまた、石段が繋がっています。こりゃ結構大変だなぁと思いながら途中まで必死で上がると、この石段は、まだまだ続いています。もういやだ、嫌だ!と思いながらこの階段をこなしてみたら、次は舗装された上り坂。休み休み上がっていくと、とどめを刺すかのように、またまた石の階段。もう、怒ってやる!と思いながらこれをこなすとようやく山門。この横にお嬢ちゃんが拝観料を徴収されている。ここもひとり600円。だぁ〜れもいない。どうりで途中の階段ですれ違った人たちが、お声をかけてくださるわけだ。
 帰りはこの階段をまた下り、挙げ句の果てにバス通りまで九十九折の階段をこれでもか、これでもかと上がらなくてはならない。いったい私は今日は何をしていたんだっけ、というくらい。
 降りてきて錦の冨美家に入って鍋焼きうどんとカレーうどんで昼飯。