ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

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 昔歩いた道がどれほど変わったのだろうかという気になるのは、この歳になったら良くあることではないだろうか。別段なんという理由があるわけではないのだけれど、昔良く歩いた高校の時の同級生の家の近辺がどんなに変わったんだろうかと気になって、歩きに行った。
 それは品川の駅から始まる。かつては品川の駅といったら西側のことを指した。プリンスホテルがある側のことだ。東側には食肉処理場があって、そっちへ出たことがあるのは多分数えるほどだった。中学三年と高校二年生の修学旅行の時のことだろうか。修学旅行列車「あけぼの号」に乗る為に集合したときのことだ。
 西口の改札口を出ると信号を渡った反対側に、京品ホテルというのがあった。労働争議の果てにもうなくなっちまった。つばめグリルの傍に都営のバス停があってそこから「目黒駅前」行き(品93)が出ている。かつては明治学院大学がまだ二部を持っていた頃、夜もバスに乗る人が列をなしていた。
 歩くときは、改札口を出てから右へ行って跨線橋を渡る。この跨線橋は今でもそのままで、もうかなりぼろになっているけれど、利用者が引きも切らない。渡ったところがやっぱり都バスの乗り場になっている。その向かい側にあったビルはそのままだけれど、もうずいぶんな耐震補強がされている。このビルの中にあった会社に日参して「仕事を頂戴」といっていたのだけれど、結局他社に取られちまった。私は営業では全く風采が上がらなかったものなぁ。
 その先に高輪プリンス(今ではグランド・プリンス・ホテル高輪という)へ上がる坂道がある。昔はここをさっさと上がっていけたのだけれど、今ではもう青息吐息といった方が良いかもしれない。かなり長い曲がりくねった坂だ。その上には、JOCの会長のオヤジとなんだか訳のわからん息子がテレビに良く出る旧竹田宮邸がそのまま建っている。なにしろ西武鉄道の堤一族は戦後のどさくさに旧宮家の敷地を二束三文で買いたたいてプリンスホテルを造った。この辺の話は猪瀬直樹の『ミカドの肖像』を読めば良いんじゃないかと思う。
 この旧館の横にはかつてボウルルームがあって、大学生のサークルがダンスパーティーを開く恒例の会場として使われていた。わたしも何度か、やってきたことがあった。当時はそんな学生主催のいわゆるダンパで「原信夫とシャープス&フラッツ」が演奏すると書かれていた。いやあれは二軍がやってくるんだなんて噂もあったが、あのバンドがそんなメンバーを抱えていたとはとても思えない。今はその横に大きな建物が建っていて、ここのボウルルームで6-7年前に友人の結構披露宴があって司会をやったことがある。
 この先の細くなった道を行くと右側はずっと昔のプリンスホテルの社員寮で今では全く使われずに朽ちているが建物はそのまま残っている。ホテルがそのまま持っているんだとしたらとてももったいないスペースで、なにかに利用されて良いはずだけれど、これはまたどうしたことだろう。この道は突き当たってしまって右へ折れるが、すぐさま鍵型に左へ折れる。この左側は味の素の研修センターとなっているけれど、昔はなんだったんだろう。衆議院議員宿舎がこの辺にあったと思ったのだけれどなぁ。
 その先の道路が品川の駅からバスが上がってくる道になる。これを北へ行くと右側には高野山東京別院なるものが現れてくる。その先が昔から建っている警察と消防署がある交差点だ。昔はこんなところまで来ないで、その手前を左へ下っていった。
 桜田通りに今はなくなってしまった信号が当時はあって、それを渡ると和泉雅子がやっているというホテル・メイツというのがあって、この辺では最も高いビルだった。今でもそこにビルは建っているけれどとっくにホテルではなくなっている。彼女が北極へ行くといったときに処分したんじゃなかっただろうか。かつては桜田通りの東側は(まぁ、今でもそうかもしれないが)ごく普通の住宅だった。
 でも、西側は、お大尽の大邸宅ばかりがおどろおどろしく建ち並んでおった。後に就職した会社にそのうちの一軒の次男坊というのが同期にいて、やりたい放題をやっていた。(あの会社にはとんでもない大金持ちの息子や娘がいて、その割にまじめな暮らし方でないのが不思議だった。)
 明治学院大学桜田通りの東側にまで建物を建てているが、そこが昔なんだったのかが思い出せない。
 同級生の家の向かいの石壁の上が確か長谷川伸の家だと聞いた記憶があるが確かめたことはない。今でもその家に上がる石段がそのまま残っているけれど、上がってみる勇気はない。同級生の家は、全く当時の家のままではないかと思われる作りのまま建っていた。ただし、そこには六つの郵便受けがつけられていて、シェアハウスのようになっているのが想像されるが、人の気配は全くない。多分もう他人のものになっていて、家族はそこには誰も住んでいないのだろうと思わせる。検索してみると女性専用のシェアハウスのようで、当初は三室の二人部屋だったらしい。
 この辺も昔からごく普通の住宅で、今でもマンショになってしまっている一角があったりするけれど、全然変わらない家もある。小学校を越えるとその先右側は庭園が売り物の結婚式場でそのまま坂を上がると目黒通りに出る。驚いたのはこの界隈で、かつては普通の商店が並ぶ普通の道だったのに、今や大きなビルばかりが並び、かつては全く影も形もなかった南北線三田線白金台駅ができている。当時は白金といっても小学校の名前でしか知らなかった。
 白金台の駅は気楽にエスカレーターで下り始めたけれど、どんどん深く降りていく。地獄の果てに降りるような気がする。
 もうとっくに過去の人になっている自分が呆然としている。
10,385歩