ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今里町

明治学院大 かつては二部がありました。品川から目黒行きのバスを利用したものでした。

 今日の散歩も、交通費はかかっておりません。ということは、さようさよう都営交通機関のみの利用でございます。もはや全く縁のない、白金でございますが、一度でいいから国立科学博物館附属 自然教育園に足を踏み入れたいと思うのですが、思い立った時がいつも週末でございます。今朝もgoogle mapを開けると、「混んでいます」と表示されます。あ、やっぱり平日じゃないとダメだなと諦めますが、それならあの辺を歩くだけならいいだろうと、大江戸線都営三田線を使って「白金台」の駅まで。しかし、私の知っている三田線というのは「三田」でおしまいでした。あそこで浅草線に乗り換えて横浜方面に行くものでした。ところが、今では三田線は「白金高輪」「白金台」と紛らわしい名前の駅を通って「目黒」から東急目黒線なんぞと名前を変えたかつての「目蒲線」の乗り入れ、これがそのまま「大岡山」「田園調布」に入り、そこからなんと東横線に乗り入れて日吉へ行くというのだから、お立ち会い!爺さんにはピンとこないわけよ。春日で大江戸線から三田線に乗り換えようとするんだけれど、「日吉行き」なんかに乗っちゃったらどこかわからないところへ連れていかれちゃうような気がして、爺さん一人、一本日吉行きを見送ったのである。

 さて、駅に降り立ってみますというと、目黒通り沿いは目も眩むような豪華マンションだらけでございます。駐車場に停まっている車に日本車なんぞ見当たらない。フェラーリにはちゃんとフェラーリマークのついた車カバーがかかっております。そうしないとフェラーリだってわからないからね。細い道を降りますと、オリンピックの年、1964年に建った5階建て4棟芝白金住宅というのがございます。当時としたら、最先端でございます。この辺の裏道は実に込み入っておりまして、車は来ない道もあるし、その上、ごくごく立派な立ち木が何本も立っています。港区はそうした樹木を「港区保護樹木」として登録してございます。どこぞのバカ都知事に聞かせたいところです。

 かつてこの近辺は「芝白金今里町」という町名でした。音になんとなく田舎っぽい風情がございます。現在では「白金台」というなんとも軽佻浮薄なニュアンスを持った町名になってしまいました。なんで変えたんですかねぇ。
 今里町は結構広かったわけで、白金台二丁目も同じ今里町でした。そこに明治の初めに屠畜場があったそうです。今でいう「白金台二丁目12番当たりだったといわれています。それで、古くからやっているすき焼き屋さんや肉屋さんの屋号に「今」の字がついた名前が多いという解説をされている方もおられます。浅草や人形町の「今半」もそこからきているんだと。

 明治学院の向かい側に立派な石垣で、鬱蒼とした木々が生えているお屋敷がございますが、これが一本刀土俵入を書いた長谷川伸の邸でございました。さすがにヒット作をバンバンと世に出すというと、がっぽり入るんだろうなぁなんぞと下世話なことを思いながら歩きます。明治学院の角までくるとこれが桜田通りでございます。その向こう側に天を突くように聳えるタワーマンションがございますが、かつてここに「ドイカメラ」というお店があったような気がします。桜田通り沿いに五反田方面へ向かいますと、右手にかつては和泉雅子が経営する「ホテル メイツ」というのがありました。バス停も今では「白金台二丁目」ですが、かつては「二本榎」と言ったんじゃないか、という気がします。

 この界隈は芸能人に縁があって、フォーリーブス江木俊夫(本名:亀田 学)は白金小学校、関根勤桜田通りを渡った高輪台小から高松中そして八潮高校-日大。この経路に重なる私の同級生は数知れず。

 帰りは「高輪台」の駅から浅草線です。