ほぼ足りてまだ欲 その先

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説明会

 今日もまた、ある会社の旅行説明会に行ってきました。何しろこの手の説明会はただですし、どんな旅行会社でも行くスポット、つまり、その界隈では行きやすいスポットがどこなのか、わかろうというものでございます。
 それも、会社によって、スポットへの力の入れ方が違いますが、総じて、旅行期間が短いツアーを主催している会社の中身には、やはりちょっと物足りません。だから、こんな場合はできるだけ長いツアーを主催している会社のものの方が参考になります。
 それにしても旅行会社が組むパックトツアーは実に効率よく慌ただしく組まれております。あとで実際に、どの辺にいたのかがハッキリしなくてもそれは致し方のない話でございます。なにしろ一日に何百キロと移動しますからね。
 日曜日ですから、この説明会にどれほどの若い人たちが来られるのかと思ったら、そんなはずはないのですね。なぜって、若い人たちはこんなスケジュールの団体旅行になんて参加できるわけがないんですから。爺婆が20組ほど参加しておりました。
 帰りに新橋から銀座を抜けて、京橋まで歩いてきた。新橋の烏森口あたりは、昔は随分と夜っぴいて徘徊し、あっちへふらふら、こっちへふらふらしたものだった。職場の仲間や、お客との呑み会なんかに随分通った。当時は駅をSLの側へ降りたら「カメラのキムラ」があって、あそこに入り込んで時間調整の見物をしたものだったが、そこはいつの頃からか知らないけれど、場外車券売り場になっていた。そのまた昔は新橋に停まった京浜東北線の車内から、随分古いビルが見えていた。なにしろあそこは戦後の有名な闇市だった。そんな戦後の匂いが充分に残った飲み屋街が、烏森神社の周辺には残っていたもので、新内流しがいたり、ギターを抱えた流しが出没していたものだった。
 それがいつの頃からか、もうちょっと洒落た呑み屋とか、もうちょっと本能に訴えかける店になっていった。新橋の駅の南側には昔桜田小学校というのがあった。こんな繁華街に小学校があっちゃ、教育環境に良くないよねぇ、なんていっていたんだけれど、住民がどんどん減って、統廃合の末、六校が一緒になって今の御成門小学校になったという。桜田小学校は1991年まであったそうだ。つまりその頃はもう既にわたしは新橋界隈に出没していなかったということかも知れない。
 京橋まで歩いてきた理由は、八重洲ブックセンターへ行って、冒頭の地図を探したからだ。かつてブックセンターでは地下に趣味関係が集まっていて、その中に旅も含まれていたものが、一気に上の階へ移されていた。それが旅のガイドブックは一階、地図は山関係の書籍と共に地下一階という配置になっている。欲しかった範囲の地図は一枚は見つかり、もう一枚は見つからなかった。払底していたのだろう。しかし、Amazonで見つけた。どうしてもAmazonに頼る結果となる。
 ここまで歩いてきたら、いつもの夕ご飯の時間からしたら、やたら早い時間にもかかわらず、無性に腹が減ったが、日曜日でほとんど開いていない。辛うじて、お婆さんふたりが入っていた立ち食いの鮨屋にかじりついて、空腹を満たす。いちいち写真を撮っていて気になったから「不調法なマネをしてごめんね」と板前にいった。すると「写真がお好きなんですか?」という。そうだよ、というのも口幅ったいから「いや、旨そうだからね」と口を濁す。実は食べたものは全部写真にしてアップしているんだよ、というとまたなんかそんな眼(どんな眼か知らないが)でみられるだろう。