ほぼ足りてまだ欲 その先

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温故知新

 近頃若い人たちの中ではお寺さんや神社に参る人がとても増えていますよねぇ。何年か前に京都の貴船神社に行った時は、雪の舞い散る冬だというのに、本殿の前で若い女性が二人、身じろぎもせず一心に手を合わせておいででした。その雰囲気がちゃらんぽらんじゃなくて、まさに真剣そのもので、近寄るのも憚られるという状態でございました。
 それから気をつけてみていると、京都のお寺さんや神社に行ってみると女性だけじゃなくて男性の若者もかなり真剣でございます。修学旅行のざわざわでれでれとはまさに一線を画しております。私自身があまり関心がないからなのかもしれませんけれど、私がガキだった頃に比べますと、人数が違います。
 それは温故知新の結果、その神聖さとか、ありがたみ、なんという物に関心が増えているのでしょうか。外国のいわゆるそんなスポットに行く人も増えている様な気がします。
 例えば大きなお寺さんのお庭に入れていただくとか、神社の深閑とした境内に入れていただくと心が和らぐというのはよくわかりますが、(私もそうですから)いわゆる「ご利益」ということを真剣に唱える若者の存在が私には不思議でならないのでございます。
 うちの死んだ親父は晩年橿原神宮に信心していたらしく、ある日実家に行ったら神棚ができていて、榊がお供えしてあってびっくりしました。まるで信心とは無縁だと思っていた人ですが、犬の散歩に行って近所の洲崎神社の拝殿前で長いこと頭を垂れておりました。なんだか見てはいけないものを見た様な気がしたものです。じっさいの気持ちを息子に語る様な人ではなかったので、あえてたずねはしませんでしたが、加齢とともに何か考えることがあったのでしょう。
 私もかなり歳が来てからの洗礼でしたから、周囲からは一体どうしたのと聞かれます。あの頃にたぶん人生の不思議さを感じたからだと思うのですが、ここで明かすのもなんですが、或る日突然、母校の礼拝に出ようと思ったのです。こんな生活を送っていながら、どうも未だに理解ができませんが。
 随分シンプルな話ですが、それに比べると、うちの親父の場合は相当な意識が働いていたような気がします。